1988.05
疑似死(ニアデス)体験

古代より「死後の世界」について数多くの本が書かれてきました。近代科学の発展によって、人間はあらゆる事柄を明らかにしてきましたが、「死後の世界」については、古代人と同じくらいにしか明らかにされていません。それは「科学」が、目に見える、あるいは機械で測定できる領域にのみ対象を限っていたからでしょう。ところがこの数年来、人間の「死」をめぐる状況が大きく変わってきました。医学や心理学だけではなく、臨床医学の進歩が「生と死」の関係に、大きな変化をもたらしたということがいえます。生命維持装置の発達により、生と死の間の境目が暖昧になり、しばしば患者は、死とも生ともつかないような状況のなかに、何日も置かれるようほなってきています。このように考えてみますと、「脳死」と同じ様に、今日ほど死のプロセスや死の世界の解明が求められている時代はないといえるかもしれません。そこでここでは、病気や事故によって「死の世界」をかいま見た人々の記録を中心に、現在「死後」の探究がどこまで進んでいるのかを明らかにしたいと思います。


「死後の世界」が大衆の興味に

1970年代にアメリカ国内では「死後の世界」に対する興味が大きなうねりとなりました。これは2人の医師の著作が脚光を浴びた結果といえるでしょう。1人は『死ぬ瞬間』でお馴染みのキューブラー女史で、彼女は千人以上の男女及び子供と擬似死(ニアデス)体験について話しあってきたといっています。彼女は日本での講演のなかでも、「死後の世界」に移行する患者の心の状態について語っています。

もう1人はレイモンド・ムーディー博士の書いた『かいま見た死後の世界』です。この本はアメリカでベストセラーになり、世界の20ケ国以上の国で翻訳されました。これは主に、「ニアデス」についての研究成果をまとめたもので、約150の実例が記録されています。この2人によって、「死後の世界」のテーマは、市民権を得ることができました。しかし、両者の調査と確信にもかかわらず、「死後の世界」が科学によって確認されたということにはなりません。そこで、さらに科学的に調べたもう1人の学者が登場します。

彼はコネティカット大学の心理学教授のケネス・リングで、その研究の成果が『いまわのきわに見る死の世界』(講談社刊)にまとめられました。彼は1977年5月から13か月、100人以上のニアデス体験者に会い、その時の体験をまとめたのです。

ニアデス体験のバターン

死後の世界をかいま見て、再び世界は戻ってきた話には、ある共通のパターンがあることが分かります。それを大まかにまとめると次のように表現することができます。

「死にかかっている男がいる。彼は医者が、自分の死を宣告しているのが聞える。そのあと、耳障りな音がきこえはじめる。大きく響いたり、うなるような音が聞こえ、それと同時に自分がすごいスピードで長いトンネルのなかを移動していくのを感じる。そのあと彼は、突然自分が肉体から抜け出ているのを感じるが、周りの状況は以前と同じである。彼は自分の身体を遠くに、まるで見物人のように見ている。彼は自分が医師によって蘇生を行なわれているのを見ているが、内心不安である。しばらくすると落ち着きを取り戻し、自分のいる異常な状況に慣れはじめてくる。彼は肉体を持っているが、それは自分が地上に残してきたものとは、性質もそのパワーも、違うように感じている。まもなく、誰かが彼の方にやって来る。彼らはすでに死んだ肉親や友人達である。また以前には見たことのない愛と暖かみに満ちた光の精霊達が現われる。この精霊が、無言で自分の人生を評価するように求め、彼の生涯の主な出来事を、一瞬のうちにパノラマ的に見せる。そのあと彼の前に現実世界とあの世との境域が近づいてくる。彼はまだ死ぬべきではないと思い、地上に戻ろうと考えるが、しかし一方では死後の世界を受け入れ、地上に戻りたくないという気持になっている。彼は肉体を離脱した今、喜びと愛と平和の気分に満たされているのだ。しかし、そうした思いにもかかわらず、彼はどういうわけか、自分の本来の肉体と結合し、蘇生する。」

これがムーディが描写したニアデス体験の基本的パターンです。これをさらに次のようにまとめることができます。

  1.  表現できない安らぎ
  2.  自分の死の宣告を聞いている
  3.  平和と静寂の気分
  4.  騒音
  5.  暗いトンネル
  6.  肉体からの離脱
  1.  他者との出会い
  2.  光の存在
  3.  生涯の回顧
  4.  生と死の境界
  5.  肉体への生還

ニアテス体験者の6割が、安らかさ、あるいは平安を感じている。

ケネス・リングの調査では、死にかかっていると意識する経験に先立って、多くの回答者が説明しようのない安らかで満ち足りた感情を味わっています。盲腸の破裂で死にかかったある婦人の場合「私は全く安らかな気持でした。全く何一つ心配のない穏やかな感じです。そういう本当に安らかな感じだったんです。私は何も怖くありませんでした。」


次に日本での研究を一つ紹介してみたいと思います。

臨終のときの表情

名古屋内科医学会元会長の毛利孝一の『生と死の境』(東京書籍)のなかに、臨終のときの表情について書いてありました。それによりますと、人が死んでいくときに「みんなもがいて死んでいく」のは考えにくいということで、ある調査データを載せています。

井上勝也が1,175名の老人の臨終時の表情を調査した統計です。これを見ると約70%の人が「安らか」であり、「無表情」を加えると85%近くが、穏やかな死顔だったようです。苦痛や緊張は12%にすぎません。

もう一つ興味をひくのは、年代別に見た表情で、70歳から84歳までを5歳ずつ3段階に分けますと、「安らか」の表情を示す人のパーセントが、高齢になるごとに5%ずつ増えていっていることです。そこで毛利さんは、このことから楽に死ぬ秘訣の一つは、長生きすることだといっています。

肉体がらの分離

ニアデス体験の第1段階は、名づけようもない穏やかな気分ということができます。次の第2段階では、肉体から抜け出る感覚だといわれています。心臓発作に襲われた男性の場合

「私は、その上の空間にいるようだったんです。私の心ははっきり働いていました。丁度頭脳だけが空間にいたみたいなんです。心以外のものは何も感じませんでした。重さもなくて、私は心だけだったんです。」

ニアデス体験をした約37%の人は、このレベルを体験しています。

暗いトンネルに入る

ニアデス体験の次の段階は、この世からあの世への間の過渡的な世界に入ります。この空間は、普通非常に暗く、大きさの分からない空間として体験されています。これを体験した人達のなかには、これをトンネルに例えている人がいます。

脳溢血と一時的な盲目に襲われた婦人は、こういっています。

「私はトンネルの中を通ったことを覚えています。本当に其っ暗なトンネルなんです。そんなに真っ暗なのに、怖くはありませんでした。それは、トンネルの向う側に、何かよいことが待っていると分かっていたからです。それでとても楽しかったんです。怖いという感しは全然ありませんでしたし、暗闇に結びつく恐れも何もありませんでした。私はただ、自分の体が非常に軽いのを感じました。私は浮いているみたいだったのです。」

光を見る

ニアデス体験の第3番目から4番目の移行の特徴は、光が表われるということです。普通、きらきら輝く金色の光と説明されています。しかしこの光は非常に柔らかで、目を痛めることはなく、何人かの回答者は、この光に包まれ、また3分の1の人がこの光の体験をしたといっています。

この光の引き付けるような力について、或る婦人は語っています。

「私がそのまま歩いていたら、道のずっと向こうの端のほうに、小さな光が見えたのです。私は歩き続けました。そうすると、その光は、ぐんぐん明るくなってきました。本当に最後はとてもきれいでした。」

光の世界に入る

この段階は光の世界に入っていき、ここに達した人は、本当に別世界にいたという感覚をもっています。そこはとても美しい世界で、そこの色彩も忘れ難いものだといわれています。ある人は牧草地のようなところにいたり、美しい花園を見たり、美しい音楽を聴いたりして、この段階を経験して生き返った人は、生き返ったことを恨めしく思うほどであるといいます。ニアデス体験をした人の約5分の1が、この段階に達しているといいます。

戦場でのニアデス体験

毛利孝一の『生と死の境』には、戦場で負傷した人々のニアデス体験が収録されていますが、そこには瀕死の状態にありながら、美しい情景を見たことがかかれています。

「瀕死の状態になって意識を失ったが、その度ごとにいつも夢うつつに金色の雲が見えた」

「しだいに目は見えなくなって、氷上で転がっている冷たさも覚えず、負傷の苦痛もなく、意識が段々遠くなり始めた頃、急に美しいお花畑がカラーで映り、その中から19歳の時死別した母の姿が現われました。」

生涯の回顧

ある人は、自分の人生の全様相を、あるいは限られた様相を、生々しく、瞬間的に、映像の形で体験します。普通これらの映像は、見ている本人は超然とした感覚になっているにもかかわらず、その気分を明るくするように作用しているといわれています。

ある存在との出会い

ニアデスを体験した人のなかには、以前に亡くなった人に出会うという体験をもつことがあります。この霊たちは、「まだお前の番ではない」「お前は戻らなくてはならない」という意味のことを伝え、その結果、それぞれの体験者は、自分の意志で、この世に戻るか、この世を越えた旅をさらに続けるかを決定することになります。体験者は自分の意志で、あるいは知らないうちに再び、この世界に戻されることになるのですが、いずれにしても死んでいく過程とは逆のプロセスをとって、この世界に戻ってくるといいます。

ニアテス状態での感覚作用

ニアデス体験をした人々の、死に近づいたときの感想では、判断力が明晰であり、感覚も鋭く正確になっているといいます。ただ味覚と臭覚は欠如しており、視覚と聴覚は残っているようです。

「全てがはっきりしていました。静かでしたから、どんなことでもはっきりと聞こえました。針が落ちても聞こえるような感じてした。見えるものも全てはっきりしていました。私は殆ど自分を見てたんですけど、自分を含め、私が見たどんなものも、はっきりと見えました。」

肉体、時間、空間

ニアデスを体験した人は、自分の肉体や空間、時間が特有の変化をするといいます。殆どの人は自分の体験を説明しようとして、それが普通の知覚や認識と全く異なるため、とても困難であるといっています。肉体の感覚では51%の人がなかったといっています。時間感覚は65%が、そして空間感覚は12%の人がなかったと答えています。

男性は事故が、女性は病気がニアデス体験を誘う病気あるいは事故、自殺によってニアデス体験をした人の男女の比率を見てみると、ある傾向を読み取ることができます。つまり男性は事故あるいは自殺の場合にニアデス体験が起こる傾向があり、女性は病気のときに、最も多くニアデス体験をするということです。これを数字で表わすと、ニアデス体験をした男性の59%が事故や自殺で死に直面したときで、女性の場合は21%にすぎません。反対に病気が原因の場合、男性は35%、女性は72%という数字が出ています。

ニアデス体験は、死後の世界を信じていない人に多く、これをきっかけに死後の生命を構じるようになる。ケナス・リングの調査のなかで、最も説得力のある結論の1つは、死後の世界があるかどうかの質問にたいし、ニアデス体験者は大幅に、「分からない」から「強く信じる」に変わるということです。そしてどういうわけか、ニアデス体験者のほうが死後の世界を信じていない傾向が強かったのですが、これをきっかけに、死後世界を信じるようになったそうです。また同じ調査のなかで、ニアデス体験をした人の80%が、それ以来、死の恐れが減ったり、なくなったと答えており、それに対し体験をしていない人の場合には、そのような心理的変化が見られないということが分かりました。

死に対する苦しみから死の受用へ

人の死は家族や親族にとって、涙を流す悲しい出来事として経験されてきました。看護婦もまた死を目前にした患者を看護するとき、気持が沈まないようにするのが、いかに難しいかを口にします。このように死は、コントロールするのが難しい、悲しい出来事と考えられています。しかし患者の気分も死を目前にして高まると、それまでの憂がや苦悩がどこかに消し飛んでしまうことがあるそうです。こうした患者は一部だけだそうですが、惨めな状態のままの死よりも好ましいのは明らかです。

K・オシスとE・ハラルドソンの共著による『人間が死ぬとき』(たま出版)には、人間が死の直前に見た様々のビジョンや気分の高揚が、患者の心理に与える影響などを分析しています。この本のなかで、死後の直前に起こる「黒海の夜明」について述べています。

「黒海の夜明」とは、長い苦しみの闘病生活を経て、死の直前に融和と安らぎの表情に輝くことを指します。ニューデリーのある看護婦は、次の例を報告しています。

「40代の女の方なのですが ── この方は癌にかかっていて、最後の何日かは、抑うつ的で半ば眠っているような状態でした。意識はずっとはっきりしていたのですが、それが急に楽しそうになったのです。うれしそうな表情をしていましたが、その表情のまま五分後に息をひきとりました。」(196頁)

次はアメリカ人の例です。肺炎の70代の女性患者ですが、この人は半ば寝たきりの状態で、惨めな辛い毎日を送っていました。この老人の顔がまるで美しいものを見たように、安らかになったのです。顔はライトを当てられたようで、ニコニコとしていましたが、とても言葉では表現できません。これだけのお年寄りなのに、美しいくらいの表情だったのです。そのうえ皮鷹が透明で柔らかい感じで、末期患者に見られる、顔色を失った土色とはまるで違っていました。」

この安らぎは、患者が息を引き取る1時間後までつづいたといいます。上の表(略)は同書にある、気分の高揚を体験した患者の特徴を示したものです。このように臨死患者が見る様々なピジョンから、色々なことを推理することが出来ます。しかしながら、最終的には、「死」は個人の出来事として捕えるべきものと言うことができるでしょう。

 


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