臨死体験談

[臨死体験]
臨死体験という言葉を聞くようになったのは日本ではせいぜい十数年前からで、アメリカでも1970年代になってからでした。しかし臨終観察で述べた如く日本では千年以上前から、往生要集や日本霊異記などの書物に臨終や臨死体験の記述を見ることが出来ます。最近の救命救急医療などの技術の進歩に伴い、昔であれば当然死亡した人が生還する数が増加し「臨死」を体験した人も増えてきました。

[ 1:臨死体験、( その 1 )]
太平洋戦争中だった昭和 20 年のこと、当時旧制中学 5 年生(現在の高校 2 年生)だったある男性が勤労動員で軍需工場で作業中に空襲に遭い、避難した防空壕の傍に爆弾が落ちて生き埋めになった時の体験を述べていました。


大きな音と衝撃を感じたとたん、意識を失いました。しばらくすると真っ暗の中に灯りが見えて、それがどんどん明るくなってきました。周囲を見ると花園のそばにいました。赤、白、黄色のきれいな花が咲く花園の真ん中に、手招きをする人がいました。白い着物を着たお坊さんでした。そこへ行こうとすると、足下が底なし沼のように変わってしまい歩けません。ところが数人の若い女性たちが スイスイと、 沼の上を歩いて渡って行くのが見えました 。自分も渡ろうとしましたがどうしても渡れずにいたところ、大きな ショックを体に感じて花園が消えました。

それは救助の人達が爆弾により崩れた防空壕の中で生き埋めになった私を助け出す際に、スコップが私の体に当たったので気が付いたのでした。後で聞いた話によれば防空壕の中で数人の女学生(女子高生)が死亡したとのことですが、私が見た「底なし沼」の上を歩いて行った人達に違いないと思いました。その後、年を取ってから胃ガンや心臓の手術を受けましたが、周囲の人々が不思議に思うほど死を恐れなくなりました。一度死にかけた体験、つまり 臨死体験をすると、死は怖くないことを知った からでした。

[ 2:臨死体験、( その 2 )]
名古屋市の医師会長をしたこともある内科医の毛利さん ( 81 才 ) の話です。68 才の時に患者を診察中に、急に口がうまく動かせなくなりました。変だと思ったら カルテを書く ペンを落として、そこで意識を失いました。
次に気が付くと自分は雲にでも乗っているような気がしました。下を見ると もう 1 人の自分が 台の上に寝ていて、回りに医師や看護婦が取り囲んでいました。女房の姿も見えたので、どうやら自分が入院したらしいことが分かりましたが、後で考えると自分の体内から別の自分が抜け出るという 体外離脱 をしたように感じました。その内に周囲が暗くなると、今度は自分の人生のいろいろな場面が カラー写真のように写し出されました。
これで死ぬのかと思いましたが、その時はなんとも言えない、 ゆったりした気分 になりました。


あのまま死ぬのであれば、 死ぬことはとても楽なことだ と思いましたが、意識不明になった原因は脳血栓でした。


[ 3:臨死体験、( その 3 )]
フジテレビの芸能レポーターで現在も時々顔を出す前田忠明さんは、平成元年 1 月 16 日に自宅で心筋梗塞症の発作に見舞われましたが、以下はその体験談です。


発作に襲われた瞬間、「焼け火箸で胸を突かれたようなものすごい痛みを感じました。救急車に乗せられ病院に向かう途中までは意識がありましたが、その後意識を失いました。病院に着き電気ショックを何度も与えられて、鼓動が回復するまで私の心臓は停止していたそうです。ずーっと暗い中にいたのが、突然遠くにポッと小さな明かりが見えてきました。


そちらに向かって自分がどんどん近づいて行くみたいでした。まるで車に乗って長いトンネルの中を行くみたいでした。それと共に明るい光もぐんぐん大きくなっていきました。そして急に暗い部屋からまるでドアが開いたみたいに、パーッと明るい光の世界が訪れました。それが素晴らしいのなんの、本当にきれいな世界なのです。それと共にえも言われぬ良い気分になりました。

心の真の底から満足しきった感じで、自分の人生であんな気持ちが良かったことは、他にありませんでした。その後友人から禅宗の本を借りて読むうちに、 死ぬときは死ぬがよし とありましたが、なるほどこのことかと思うようになりました。あれ以来死の恐怖がなくなり、いろんな現世の生臭い欲望が消えて行きました。


[ 4:臨死体験、( その 4 )]
東京都板橋区の岡ふさえさん ( 63 才) は昭和 28 年秋、22 才の時に臨死体験をしました。当時 バスガイドをしていた岡さんは、体調を崩していたのでしばらく事務の仕事をしていました。ある日、急に腹痛になり床を転げまわるほどの痛みになりましたが、あとで分かったことは手遅れの腸捻転でした。病院に運ばれすぐに手術になりましたが、それから 4 日間意識不明でした。
初めは髪の毛を誰かにつかまれて、暗い底の無い井戸のような場所に グイグイ引きずり込まれるような気がしました。井戸か トンネルか分かりませんが下へ引っ張られる感じで、いくらもがいても暗い方へと引っ張られて行きました。その内に急にふわっと体が軽くなり、暗闇の世界から浮かび上がりました。すると広くてすごく明るい所に出ました。銀色の キラキラの向こうが全部花でした。七色の花がいっぱいに咲いていて、見渡す限り花でした。
その花の所に行こうと思いましたが、なかなか行けませんでした。花畑には チョウチョウや鳥やいろいろなものが飛んでいました。遠くて顔はわかりませんが、3 人の人がこっちへ来いとでもいうように手を振っていました。どうやらその中の 1 人は私が 12 才の時に亡くなったお婆ちゃんのような気がするし、そうでないかも知れません。行こうとすると誰かに足をつかまれて、引き戻されました。

あとで母に聞いたら母や親戚のおばさんが、私の足をつかんで揺すったらしいのです。


[ 5:臨死体験、( その5 )]
昭和 36 年 3 月に直木賞を授賞した、作家の水上勉 ( みずかみ ・ つとむ ) さんの話。平成元年 ( 1989 年 ) 6 月のこと、訪中作家団の団長として北京滞在中に天安門事件に遭遇し、ようやく日本に帰国し自宅に着いた2時間後に、心筋梗塞を起こして救急病院に入院しました。それから 3 日間は昏睡状態になり、医師からもほとんど絶望といわれましたが、その間に水上さんはさまざまな体験をしました。

とにかく目の前に真っ黒に近い深い川 ( 三途の川 ) が流れていて、水面にはところどころ光が当たっていました。後ろから 30 年近く前に死んだはずの父親に似た声がして、そこは冥土だから気をつけろと忠告されている気がしたとたんに、足下を流れる水に気付きました。そこには去年死んだ 飼犬の 「 草太郎 」 に似た犬がいて 、崖をよじ登ろうとしていましたが、やがて川に落ちて流されて行きました。私も 一緒に川面に落ちましたが、沈まずに浮いたまま川下に流されました。

ようやく岸にたどり着くとそこには先にはい上がった犬がいましたが、そのまま犬と別れわかれになって、ずぶ濡れの身体をどこで干したのか覚えていませんでした。さらりとした格好でこの世に戻りましたが、どこにこの世とあの世の境界があったのかも見てきませんでした。暗い トンネルを潜って戻ってきたような気はするけれども、冥土は暗くもあり、明るくもありました。


なお水上勉さんは臨死体験をしてから 15 年後の、平成 16 年 9 月に 85 才で亡くなりましたが、愛犬だった 「 草太郎 」 と 「 三途の川 」 の向こう岸 ( 彼岸 ) で恐らく再、再会したことでしょう。( 合掌 )
[ 6:臨死体験、( その 6 )]
現役の国会議員で元 プロレスラーの大仁田厚 ( おおにたあつし ) さんの話です。臨死体験が起きたのは平成 5 年 ( 1993 年 ) 2 月のことでした。医者の話によれば咽頭炎から急性肺炎になり急性腎不全、敗血症を併発し危篤状態になりました。約 1 週間近く意識不明の状態になりましたが、その間に何度か臨死体験をしました。


仲間達と スナックのような所に行き酒を飲んでいると、トイレに行きたくなりました。裏口の戸を開けると道の向こうに川が流れていて、屋形船がありました。なんとなく船に乗りたくなり乗ると、途端に情景が変わりました。N H K の カメラ ・ クルーと 一緒に、外国の草原地帯にいるのです。そこで通訳を介して ロシア人農婦に インタービューをしました。草原の季節が秋の終わりで緑は無く、枯れて茶色になっていました。

その後も場面が変わり黄色のお花畑になったり、雪山になったりしましたが、そこで熊に出遭ったのです。グリズリーのような大きな熊が立ち上がってかかってきました。それに向かって突っ込んで行ったら、バーンと殴られました。痛いと思った瞬間に目が覚めました。

臨死体験で人生観が変わりました。私の学歴は中学しか出ていなくて、漢字もろくに書けない人間なのです。それでも人生を切り開いていけるんだということを自分の生きざまで示してきたから、地方の高校生などが徹夜してでも私の試合を見に来てくれたんです。その人達の為にも危険なプロレスのデス・マッチを止めにして、テレビのレポーターとして生き抜くことを決心したのです。ジャイアント馬場など六十才を過ぎても現役でリングに上がっているレスラーがいるのに、三十八才という若すぎる引退は、臨死体験がきっかけでした。


[ 7:臨死体験、( その7 )]
アメリカの例を紹介します。セントルイスに住むある財閥の長老が急死しました。残した遺産は莫大な額で親戚とも思えないような人まで相続権を主張し、大変な混乱になっていました。その理由は長老の遺書が見つからなかったからでした。そんな折、長老の孫である 30 歳の女性が事故に遭い、瀕死の状態になり臨死体験をしました。女性は暗い トンネルを抜け、光溢れる世界に入りました。すると、なんとそこに長老がいました。そして長老は孫である女性に向かって、 お前達は、引き出しの聖書を読まんのか! と怒鳴ったのでした。

その後女性は幸いに蘇生し、そのことを他の遺族に告げました。そして長老が光の世界で告げた引き出しの中を見てみると、驚いたことに聖書がありました。そしてその聖書には、長老直筆の遺書が挟まれていました。さらにその遺書には、すでに故人となった長老の昔なじみの友人たちの署名が添えられていました。! その結果遺産問題は、たちどころに解決したのでした。

■東京の銀行に勤めるAさん(当時26歳)は、ある日の夜、車を運転していてガードレールに激突するという事故を起こした。すぐに救急車で病院に運ばれたが、Aさんの怪我はひどく、手の施しようのない状態だった。

ほぼ絶望的な状態ながらも母親の必死の頼みで手術が行われることになった。結果的にはAさんはなんとか蘇生したものの、その治療を受けている間に臨死(りんし)体験をしてきたのだという。

「何か周りが妙に騒がしいという感じで目が覚めました。自分自身はなぜか部屋の高い場所にいました。そして自分がひどい怪我をして病院で治療を受けている、自分自身の姿を上から見ていたのです。」

一般的に言われる幽体離脱の現象で、魂が身体から抜け出して、上から自分自身の姿を見ているのである。

医師たちは懸命に治療を行っている。母親は枕元で祈りながら震えている。父親ががっくりと肩を落としている姿が見える。二人の医師が輸血を行い、看護婦がマッサージをしている。人々の会話もはっきりと聞き取れる。
「瞳孔が開いている。やはりダメか・・。」
「会わせたい人がいるなら、早く呼んだ方がいい。」

そのような会話をききながらAさんは「僕は死んでない!ちゃんとここにいるじゃないか!」と何度も叫んだが、誰も気づいてくれる人はいなかった。

そのうち、はっと気がつくとAさんは全く別の場所にいた。灰色の雲の中に自分がいることに気づいた。雲の先の方には真っ暗な穴があいていて、自分自身がどんどんそこに引き込まれていっている。

「あそこに落ちたら終わりだ!」瞬間的にそう思って必死にもがいたが、どうしようもなく、とうとう穴の中に引きずりこまれてしまった。中は凍りつくように寒く、真っ暗で何も見えない。

だが、この苦しい感覚もすぐに終わった。次の瞬間は何か暖かい、そしてきれいな花が咲き乱れる山の中にいた。Aさんはそこで飛んだり走ったりしながら、子供のころから事故に遭うまでのことを次々と思い出していた。もう思い出せないはずの二歳くらいの頃や、小学校の入学式のことなどが鮮明によみがえってくる。

その山に突然、強い光が上空から迫ってきた。太陽が異常なほど明るくなってきているのだ。その光がどんどん強くなり、何も見えないほど明るくなった時、パッと目が覚めた。そこは病院のベッドだった。

一瞬の出来事のような感覚だったが、実際にAさんが目覚めたのは事故から三日も経ってからだった。意識が回復し、大分落ち着いた時、Aさんは治療をしてくれた医師の人や看護婦の人にそれぞれお礼を言った。誰がどういうことをしてくれたか、見て覚えていたからだ。

「あなとは瞳孔が開いて完全に死んでいたんだから、そんなことが分かるはずがないじゃない。」
と関係者の人は気味悪がったが、Aさんにはちゃんと見えていたのだ。

■メアリー・ジョー・ラピニさんのケース
動脈瘤を患い倒れた際、「戻りなさい」という神の声が聞こえたかと思うと、突然ピンク色の光に飲み込まれた。夢のようなぼんやりした感じはなく、全てがはっきりしていた。

■ボブ・ウッドラフさんのケース
記者のウッドラフさんは2006年にイラクで取材時、乗っていた車が爆撃され大怪我を負った。意識不明の間にまぶしい白色の光に包まれ、下方に自分自身がフワフワ浮かんでいるのが見えた。

■ドン・パイパー司祭のケース
大型車と正面衝突する交通事故を起こし、乗っていた車が大破。心肺停止の間、荘厳な音楽が流れ、嗅いだことのない香りに包まれた。死んだ祖父と、何人もの故人たちが巨大な門の前で点滅する光を提げて立っているのを見た。

■ジェーン・シーモアさんのケース
アレルギー反応でアナフィラキシーショックを起こし、生死の境をさまよっている時に閃光を見た。無宗教のシーモアさんだが、「人知を超越した存在」の力を感じた。


[ 2:不思議な世界]
臨終あるいは臨死体験の際に人が何を感じ、何を見たかの調査記録がありまが、それによれば ( 複数回答を含む ) 臨死状態になるとこれまで経験したことがない世界に身を置くことになり、しかも落ち着いた気分になることでした。

1:安らぎに満ちた気持ち良さ。 60 %
2:体外離脱            37 %

3:トンネルなどの暗闇      23 %

4:光を見る            16 %

5:人生の回顧          12 %

6:死者との遭遇          8 %


でした。ではなぜ臨死状態になると、このような現象が起きるのでしょうか?。その答えとは、

[3:プログラム説]
 人間の脳はある状態になると幻覚症状を起こすような プログラムが 、あらかじめ D N A に組み込まれているとするものです。つまり心臓の働きが低下して血圧が下がり、血流が減少すると、 脳が酸素欠乏状態になりますが 、それがある値以下 ( 臨死状態 ) になると死を安らかに迎えられるように、予め脳細胞内に埋め込まれている 幻覚症状を起こす プログラム が自然に作動するのだそうです。 自然の摂理の「 巧みさ(?) 」というか、創造主である神様の 「 お慈悲(?)」には感謝致します。
[ 4:麻薬物質分泌説 ]
 スポーツ用語で、 ランナーズ ・ ハイ というのがあります。苦しい マラソン ・ レースなどの際に、走っている内に次第に苦しさが無くなってきて、むしろ気分が高揚する「 ハイ 」 の状態になるのだそうです。 スポーツ医学の専門家がその際の血液中に、快感をもたらす 「 ドーパミン 」 や苦痛を減少させる エンドルフィン という麻薬物質が多量に存在するのを発見しました。肉体や精神が極限状態に近くなると エンドルフィンが分泌され、血液により脳に運ばれて 肉体的、精神的苦痛を和らげてくれる のだそうです。
エンドルフィンそのものは 30 年前 ( 1975 年 )に英国の ジョン ・ヒューズ博士が発見しましたが、約 20 種類ある エンドルフィンのうち最も強い ベーター ・エンドルフィンは、生成される量は微量なものの、その効力は鎮痛薬として有名な モルヒネの 6.5 倍もあるのだそうです。

愛知医科大学の研究データによれば、脳卒中患者 125 名 について血液中の エンドルフィン の濃度を測定したところ、発病して 2 日目に エンドルフィンが急激な上昇をして、 正常値の 2 倍になりました。更に臨終に近づいていくと、濃度の値が上昇することが血液検査の結果から判明しましたが、死の苦しみや寂しさから 肉体や精神を解放する仕組みが存在することの証拠です 。ところで人が死ぬと穏やかな表情になるのは、このことと関係があるのかも知れません。


[ 5:局部刺激説 ]
最近では 右脳の大脳皮質の或る部分を刺激すると 、自分があたかも体外に離脱するような感覚を得ることが判明しました。
スイスの研究チームが 「 テンカン 」 患者の脳のある部位を電極で刺激すると、患者が臨死体験と同じ感覚を得ることを偶然発見し、英国の科学雑誌 ネイチャーに発表しました。スイス ・ ジュネーブ大学病院神経科の オラフ ・ ブランケ博士は、「テンカン」の女性患者(43才)を治療中に、右脳の大脳皮質にある角状回と呼ばれる部位を電極で刺激したところ、患者が「自分の体内から抜け出る」ような情景を毎回体験したことを確認しました。この患者は、過去十一年間「テンカン」に悩まされていて、ブランケ博士らは、「テンカン」の原因になる脳の部位を突き止めようと実験していました。

患者の脳には100個以上の電極がセットされ、場所を変えて次々に刺激が与えられたため、医療チームは「患者が脳の特定な場所の刺激によって臨死体験(体外離脱)をした『ふり』をした可能性はほとんどない」と考えています。参考までに角状回とは、体や空間の認識、論理的な順序付けをコントロールする、脳の中でも複雑な部分なのだそうです。

クリーブランド医療財団の シンディー ・ クブ博士によると、角状回に異常がある患者は、ズボンをはいてから下着をはこうとして、「 何かおかしい 」 と気づいたりするといいます。また手や足が体とつながっていないと、感じたりすることもあるのだそうです。

臨死体験の際に感じる 幻覚、幻影(?) は医学的には脳のどこかの神経細胞で、情報伝達の途切れや誤りが起きているのが原因ではないかとする説がありますが、特定の部位 ( 角状回 ) が関与していることを示唆する実験の 「 結果 」 は貴重なのだそうです。今回の結果は、臨死体験を研究しようとして得られたものではなく、前述のように 「 テンカン」 の研究において偶然発見されたもので、比較実験に必要な「 対照 ( ある物事を他と照らし合わせる ) 患者 グループ 」も用意されていない研究でしたが、この分野の専門家は 「 説得力があるものだ 」 と評価しています。

しかし問題は臨死状態にある人が外部からの刺激も受けずに、 角状回 が刺激を受けたと同じ状態になぜなるのか?、あるいは沼の上を歩いて行った女性の死者たちを、生き埋めになった男性がなぜ見ることができたのか?などの問題について、脳の医学的研究だけでなく従来の科学では解明できない未知の分野についても、今後の研究が待たれます。

特殊なパターンによる死後世界の確認


逆行催眠
逆行催眠とは、被験者に催眠術をかけ、だんだんと過去の記憶へとさかのぼっていくものである。

■1967年、臨床心理学者のヘレン・ウォームバック博士によって、ある特殊なレポートが発表された。
被験者750人を対象として逆行催眠をかけ、かなりの確率で生まれる以前の記憶を引き出すことに成功したというものだ。

人間の記憶の奥底には母親の体内にいる時からそれ以前のことがきちんと記憶されていて、催眠によって刺激を受けると詳細に思い出すことがあるという。

博士の研究結果によると、実験に参加した人の81%は、この世に生まれてくる時に、ある特定の身体を選択して生まれてきたと語った。しかもその大半の人が、霊界にいる責任者らしき存在と相談の上、いやいやながらその身体を選んだというのだ。
再びこの世に生まれてくることは、気の進まないままに進行したことらしいのだ。

そして、「生まれる前はどういう状態だったか」という問いに対しては、90%の人が霊界は楽しいところだったと語った。生まれ変わるのを望んでいた人は全体の26%で、大半の人は生まれてくることを望んではいなかったのである。

また、それぞれの被験者に、生まれてくることが決まった時はどんな気持ちだったのかを尋(たず)ねてみると、
「何か少し苦しい目に会いに行くという感じです。」
「やらなければならないことがある、という義務感のようなものです。床が汚れていたら掃除をしなくてはならない、という程度の感覚です。」

というような意見が聞かれた。

更に、「生まれ変わった後の、次の人生について何らかの情報を持っていたか」という問いに対しては、87%の人が「知っていた」と答えた。つまり、次の人生の中で出会う両親や恋人・友人などのことは、霊界にいる時や、またはこの世と霊界の中間の世界にいる時にすでに知っていたというのである。


輪廻転生
輪廻転生とは生まれ変わり(前世から来世へ移行する)ことである。

■前世の記憶を持つ女の子
インドのニューデリーに、リーナ・グプタという少女が住んでいた。リーナは当時二歳。このリーナがある日、両親に向かって、
「私には主人がいたんだけど、すごく悪い人で私のことを殺したのよ。」と言い始めた。最初は両親も祖母もびっくりしたが、テレビか漫画の影響だろうと思って聞き流しておいた。

ところがリーナは何度も何度も同じようなことを言う。それにリーナには変な癖があって、場所を移動するたびにあたりをきょろきょろ見まわすのだ。車に乗る時も周囲を見渡してから乗る。よくバルコニーに出てはあちこちを見渡している。その癖があまりにしょっちゅうなので、両親はリーナに「何かを探しているのかい?」と尋ねたところ
「主人がいないかどうか確認しているのよ。それから私の子供を探しているの。」と返事が返ってきた。主人がいたら、また殺されるかも知れないとでも思っているのだろうか。

更に毎日のように、主人に対する憎しみや、自分の子供がいかにかわいかったか、について両親に話し続けた。これだけ言われると、リーナが単に大人の口ぶりをマネしているだけとは思えない。両親は悩み、友達に相談したり、あるいは精神科の医者にみてもらった方がいいのだろうかとお互いに話しあったりしていた。

そんなある日、母親の友人がある情報を持ってきた。自分の知りあいで、リーナの話す家庭と良く似た境遇の家庭があるというのだ。娘を嫁にやったが、嫁いだ先で主人に殺され、両親は悲しみの日々を送っているという。

リーナの両親は、リーナを連れてその人たちに会ってみることにした。一番喜んだのはリーナで、行き先を教えずに連れてきたのだが、その家が近づくにつれてはしゃぎだし、道にも妙に詳しい。

その家に着くと真っ先にかけだし、出てきた老夫婦を指さして
「この人たちが私の両親です。」と、今の両親に向かって紹介した。

この老夫婦の言うこととリーナの言うことは全て合致した。これまでの発言は子供の空想ではなかったのだ。
殺人者である元の夫は妻殺しの罪で服役していたが、模範囚として10年で出所したらしい。それを聞いたリーナは「また殺される」とおびえた様子だったという。


インターネット上の体験談

2ちゃんねるや発言小町など、その他BBSからの引用

■あたしのお父さんの友達が瀕死状態になった事があったそうで、そん時、不思議な光景を目にしたそうです。
周りには自分の好きなものばかりがあって、そっちへ行こうとしたら、
正面から光が見えてきて何となく光の方へ行ったらしい。
んで気づいたら病院だったと。
そういった話は昔聞いた事がある。

■光を見るのは主にキリスト教信者。無宗教の日本人はお花畑。
臨死体験で地獄のような光景を見ても苦しいわけじゃなく、いい気持ちなのは同じらしい。

■親戚の伯母さんは、やはりメジャーな感じに、お花畑を見たって言ってた。
色んな本などで見ていると「色とりどりの花が・・・」というのがけっこうあるけど、色とりどりってなんかセンスなくない?

■せっかくお花畑に囲まれて天国の幸せな気分にひたっていたら、
突然景色が変わり鬼のような妖怪が出てきて地獄に変わった。
生き返ってみると、地獄に変わったのは医者が蘇生手術を始めたときだったという。

医者は地獄の使者だった。

■臨死体験にはいろんなパターンがある。
光、トンネル、川、お花畑などなど。
出てくる人間は必ず先に死んだ者。
聖母マリアとか綺麗なねえちゃんの場合もある。

■私は、一度死にかけました。
臨死体験のようなのを経験しました。川やお花畑は見えませんでしたが、
目の前に人が見えました。正確に言うと「人」というより「存在」でした。
うまくいえませんが、普通の夢にでてくる人とはちょっと違う感じでした。
でも、臨死体験は一瞬だけで、すぐに普通の意識にもどりました。
普通の意識に戻ったときに、なぜか死ぬことがとてもめでたいことだという感情がありました。
それは底抜けのめでたさでした。
死ぬことがめでたいとする考え方は、古来の日本にあるように思います。

■友人で、腹の手術のとき、自分の体から抜け出した体験したやつがいた。
(ただしトンネル体験とか花畑とかじゃないので、臨死体験とは言えないかも)
「自分」は空中にフワフワ浮かんで、ベッドに寝てる体を見下ろして、あといろいろなとこに移動してみたりしたらしい。
でも本人の意見としては「おもしろかったけど、結局麻酔か何かの影響で幻覚見ただけだと思うよ」とのことでした。

■私も昔、お花畑見たことありますよ。
具合いが悪くなって、病院に行ったら廊下で倒れてしまい、
何時の間にか、色とりどりのコスモスのような花畑一面を眺めていました。
この世では味わえないなんとも言えない気持ち良さで、
意識が戻った時、病院の先生に名前を呼ばれながら両頬をひっぱたかれてましたわ。

その時思わず「・・・なんで 戻したの?」とつぶやいたのを覚えています。

すぐに緊急オペになって、術後、看護婦さんが慰めてくれるんだけど、私はとにかく生きている事が嬉しかったな。
気持ちが前向きでした。
退院しても見るもの全てが輝いて、嬉しかったのを覚えてます。
それは数ヶ月続きました。

■10年ほど前に、私は死にそうになり救急車で搬送され入院しました。
その時一回だけ、何とも不思議な光景を見たことがありますよ。
意識が遠のいた時に視えたその世界は
何故だか私は木の小船にもたれるように一人で乗り、湖の上にいた。
もーーう 全てが黄金に輝き、陰影が琥珀の世界で、風は暖かく、湖面もサラサラと金色に光り輝いているのに、
それがちっとも眩しくはなかったんです。

私はただボーーッと湖面をみながらユーラユーラとうっとりとしていました。
もしかあれが死後の世界ならば、永遠に居たいほどに気持ちが良かったです。
まぁ、多くの人は脳内物質云々だというけれど、あの経験はなった人でないとわからないでしょうねぇ・・・

■うちの母の話です。
すし屋のカウンターでふーっと意識が遠くなって後ろに倒れてしまいました。
母がいうには痛いとか苦しいとかいう感覚はなく、
真っ暗いなかで遠くに光が見え、その光に向かってすーーーっと進んでいく途中で、
「みなこーみなこー」という父の自分を呼ぶ声が聞こえたので、「ゆうさんが呼んでるな」と思ったそうです。

気が付いてみると「みなこ!みなこ!」と父が必死に呼んでいたそうです。
母は肩こりがひどかったのですが、それ以来全く肩がこらなくなったそうです。
打ち所がよかったのでしょうか?うらやましいです。
ちなみに名前は仮名です。

■去年自殺未遂したんだけど・・・
花畑は見れなかったよ。
どんよりとした雲の中にいました。
体が重くて動かなくて、口の中が妙に甘い気がしました。
うーん。

■俺の高校の先輩で医者をしている人は、死にそうな人に向かって「死んだら殺す!!!!!」と
すごい勢いで何回も怒鳴りドツキ倒すそうです。
その死にそうな人は高確率でお花畑を見るそうです。
しかも、その医者の声で戻ってくる人が多いそうです。
何か死にそうな人も「死んだら殺す!!!!!」と言われたら、とっさに生き返ってしまうのって不思議。
その医者が言うには「人間気合が大事!!」だそうです・・・

■父親が心筋梗塞で、重体まで行った時、白い雲のなかを、ひたすら歩いてたって言ってた。
フワフワした感じで。
心臓の血管が詰まる病気らしいから、脳に血液が十分に行き渡らず、ふわぁ・・・という感じになったんだと思う。
 あと、勤め先関連の男性、くも膜下出血で突然倒れ、緊急手術したけど、
急に真っ暗になって、麻酔からさめるまで何も見なかったって言ってた。とにかく闇のみだったって。
今は元気に子供2人つくって、暮らしてる。

■臨死体験かどうかわからないけれど、不思議だった実話。
私が小2の冬、その日の朝は前日の大雪で、道端に雪が沢山つまれていました。
その雪を触りながら歩いていると、突然前に転倒し頭から雪の中に突っ込みました。
モガケばモガクほど、背中に背負っているランドセルが重石になり頭が沈み、
幼い私の腕力では脱出不可能になっていきました。
その内意識が遠のいていきました。すると、知らないお爺さんの姿が頭に浮かんできて、
そのお爺さんが、向うからくる金髪の米兵さんの服を、思いっきりこちらに引っ張り、
「この子を助けてやってくれ!」と手をふりながら懇願するような姿が 脳裏映像に浮かびました。
その後、気がついたら私は救急車に乗せられるところでした。
後でわかったことなんですが、米兵さんがたまたま歩いて、
何故か突然、体が路地に引っ張りこまれる感じになったそうです。
するとそこに私が埋もれていたのを発見し、引き上げて人工呼吸を施してくれたらしい。
因みにそのお爺さんは、むかーしに亡くなっている、近所の煙草屋のお爺さんだということが写真でわかりました。

■俺も臨死体験らしきものを経験したことがありますよ。
手術が終わって数時間が経ち、トイレに行こうと思って、
ベッドから降り立った瞬間、体中の力が抜けてその場に崩れ落ちた(らしい)。
意識が暗転した直後に、今までの人生で味わったことの無いような素晴らしい快感と充足感に包まれ、
なぜか第九が鳴り響き、辺り一面に金色の花が咲き乱れている場所にいました。
大地にしっかり立っているのではなく、ふわふわと浮いてるような感覚でしたね。
その当時は親戚が全員健在だったこともあったのか、他人の存在は一切感じませんでしたよ。
ふいに猛烈な苦しみを感じたと思ったら、また意識が暗転して、
ベッドの上に寝かされて周りが大騒ぎして母親が泣いてました。
意識が暗転するのと苦しみを感じるのは、ほぼ同時でした。
内臓出血が起きていて、かなり危険な容態だったそうです。
音楽が聞こえていたのって珍しいですかね。

■聞いた話だが、従兄弟(2階窓から酔って頭から転落・瀕死の重傷・生還)が生死の境を彷徨ってた時に、
渡ろうとしていた川の向こう岸で亡くなった彼の親父さんが両手を広げて「こっちに来るな」と制止する姿を見たそうだ。

■俺が昔事故で逝きかけた時(3年前)の話だけど・・・
花畑とか川とか見なかった。ただ、誰もいない家の食卓で1人で食事をしていた。
食卓の上には家族分の食事があるのにいるのは俺1人だけ。
さっきまで家族がいた痕跡はある。(食事食べかけなど)
食っててどうしょうもない気分になって(子供の頃デパートで親とはぐれた感じ)
怖くなって家の中を探し回っても誰もいない。この時時計を見ると6時10分、
外に出て庭を探したりしたけど誰もいない。
それどころか周辺、車、人が全くいない状態。
近くの知り合いの家にいっても無人、だけど今まで人がいたような雰囲気はあった。
それでかなり走って人影を探したが誰もいない、学校行ったり良く行くゲーセンとかも無人。
そこである交差点に着いた。
そこは事故現場でそこで事故にあったことをぱっと思い出した。
事故にあったあとアスファルトの熱い感覚、体が全く動かなかった感じ、周囲の人の会話を鮮明に思い出した。
「これは酷い」や女の人の悲鳴。「早く救急車呼べ!」など・・・
ここで俺は死んだのか・・・と認識。
家に帰り放心していた。
時間は6時10分から進んでなかった。
ボーっとしてるとだんだん眠くなってきた。
そのときいつもの風景を思い出していた。
いつも帰ると母がいた台所、そとの工場でうるさい機械と一緒に汗を流し働く父。
とても悲しくなったが眠気に我慢出来そうになくなり眠りについた。
だけど暫くして意識を取り戻した。何故か体が異様に重い。
周りは家ではなく真っ暗な所にいた。水中にいるような感じだった。
上のほうで何か聞こえるのでそっちへひたすら進んだ。とても体がだるくとてもしんどかった。
だんだん光が見えてきたのでひたすらそのの方向を目指し進んでいた。
時間がたつほど体が言うことを聞かなくなっていくような感じだった
光に近づくとそれが家族の声だということに気がつき、力が沸いてきた。
光に届くと同時に目が覚めた。
そこには家族いて必死に何かをいっていた。しゃべる気力もなかったが生きている実感はあった。
そして手を握っていた母の手を握り返しまた眠った。
長文失礼

■高校時代の友達が膠原病で死にかけたとき(高熱が続いていた)の話。
何かが見えたとかではないけど、とにかくふわーと気持ちよくなった、
うわあーと思ってたら、名前を呼ばれて気が戻り、
耳元で看護婦さんが呼びまくってた。
あとで、危なかったと言われた。
 あと、うちの父は子供の頃に溺れたとき、蓮の花が見えたと言ってました。
これ、日本ならではっぽいですね。
飯田史彦の「生きがいの創造」という本、臨死体験盛りだくさんで興味深かったです。

■叔父が子供のころ(今から60年も前)大怪我で死にかけた時見たのは、まさに「一面のお花畑」だったそうだ。
「後にも先にも絶対に見たことのない程の花の色と美しさは忘れられない」そうな。
手術中に一度心臓が止まったらしい友達は、宇宙に浮かんでいて青い地球を眺めてたそうです。

■催眠で前世の臨死体験を探る方法によると、死んですぐは、家族やお花畑など形のあるものがあらわれるが、
さらに先にすすむと、まわりは光る雲の階層のような景色になる。
霊魂はみなシャボン玉のような形になり、それらの間で自由に意思疎通が可能。
そして霊魂は現世に降りる前にいた、もと居た霊魂のグループに帰るという。

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