我思うゆえに我あり
しばしば勇気が試されるのは、死ぬことではなく、生きることだ(アルフィエリ)
明日は、明日こそは」と、人はそれをなだめる。この「明日」が、彼を墓場に送り込むその日まで(ツルゲーネフ)
一足跳びに山の頂上にあがるのも、一歩一歩としっかりと登ってゆくのも、結局は同じこと。
むしろ一歩ずつ登るほうが途中の草木や風物を見ることができるし、
一歩一歩を慥(たし)かめてきたという自信をつかむことができる。
(山本周五郎)
理性はしばしば罪の奴隷となって、これを弁解する(トルストイ)
ほがらかに死んでいくために、私は生きようと思う(ゲレルト)
ゆうゆうと焦らずに歩むものにとって長すぎる道はない。
辛抱強く準備するものにとって遠すぎる利益はない。
(ラ・ブリュイエール)
大文字ばかりで印刷された書物は読みにくい。日曜日ばかりの人生もそれと同じだ(ジョン・パウル)
一日のためなら、一生など棒に振ってもいい(北杜夫)
レストランで何を注文しても、人が頼んだもののほうが絶対によく見える(ポーリーナ・ボース―ク)
一見して人生には何の意味もない。しかし一つの意味もないということはあり得ない(アインシュタイン)
人生は短い。たとえ、それを長いと思って過ごしている人たちにとっても(A.モーロア)
人生を越えた何かがあるとき、人生は美しくなる(J.ドルメッソン)
いつかできることは、すべて今日でもできる(モンテーニュ)
われわれは理性によってのみではなく、心によって真実を知る(パスカル)
三月の風と四月のにわか雨が五月の花をもたらす(西洋の諺)
インタビュアー「世界平和のためにわたしたちはどんなことをしたらいいですか」
マザー・テレサ「家に帰って家族を大切にしてあげてください」
地上において、あなたの使命が終わったかどうかを知るテストをしてみよう。
もしもあなたがまだ生きているのであれば、それは終わっていない。
(リチャード・バック)
一日は短い単位の一生、一生は長い単位の一日。
一日を一生の如く真剣に生き、一生を一日の如く気楽に生きたい。
(岩淵克郎)
「一体どれだけ努力すればよいか」という人があるが、「君は人生を何だと思うか」と反問したい。
努力して創造していく間こそ人生なのである。
(御木徳近)
思った通りの人生ではなかった。しかし、よかったとなら言える人生だったかもしれない(アルセーヌ・メルセデス・ヒロコ)
人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない、自分自身においても、また他人に対しても(パスカル)
人間は考えるために生まれている。故に人間は、ひとときも考えないではいられない(パスカル)
人間は一本の葦にすぎない。
自然のうちで最もひ弱い葦にすぎない。
しかし、それは考える葦である。
(パスカル)
眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。
抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ。
(サルバドール・ダリ)
やれなかった
やらなかった
どっちかな?
(相田みつを)
死すべき時を知らざる人は、生くべき時を知らず(ラスキン)
人生は一歩一歩、死に向かっている(コユネイル)
私はつらい人生より死を選ぶ(アイスキュロス)
われわれの生まれ方は一つ。だが死に方はさまざま(ユーゴスラビアの格言)
真理は瀕死の人の唇からもれる(マシュー・アーノルド)
人はほぼ誰でも逆境には耐えることができる。どういう人物かを知りたければ、むしろ権力を与えればよい(リンカーン)
私達は生まれたとたん死にはじめている(マリニウス)
いくら長生きしても、最初の二十年こそ人生の一番長い半分だ(ロバート・サウジー)
生死などは何でもない、つまらない事柄なのだ。ただ、生きていく態度が重要なのだ(稲垣足穂)
死者も我々がまったく忘れてしまうまで、本当に死んだのではない(ジョージ・エリオット)
最初の呼吸が死の始めである(フラー)
花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ(井伏鱒二)
死んで誰一人泣いてくれるものもないくらいでは、生きがいのないものだね(徳富蘆花)
誰でも死ななくちゃいけない。でも私はいつも自分は例外だと信じていた。なのに、なんてこった(ウィリアム・サローヤン)
死が老人だけに訪れると思うのは間違いだ。死は最初からそこにいる(へルマン・ファイフェル)
正義とは、己れにふさわしきものを所有し、己れにふさわしきように行為することなり(プラトン)
人間は、みんなに愛されているうちに消えるのが一番だ(川端康成)
墓場は、一番安上がりの宿屋である(ラングストン・ヒューズ)
このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、最初からずっと、死に方を学んでいたのだ(ダ・ヴィンチ)
最初に自殺しようと考えた人間は、人生を永遠に侮辱してしまったのである。
人生は大いに気を悪くしている。
(ジョルジュ・ぺロ)
もっとも偉大な人々は、人に知られることなく死んでいった。
人々が知るブッダやキリストは、第二流の英雄なのだ
(ロマン・ロラン)
人間一度しか死ぬことはできない(シェークスピア)
生まれた以上死なねばならぬ、ということ以外確実なことはなし(クリティアス)
人の愚かさばかり見る、キミの生き様に光明はあったかい?(セルヴァ)
世の中には
見る前に跳べる者、
見てから跳ぶ者、
見ても跳ばぬ者がいる。
見る前に跳ぶ者とは、先駆者のことである。
彼は時代の構造的変化が目に見える前に、自らのうちにとらえ、なすべきことをなす。
見なければ跳ばない人間というのは、既に変動が終局に近づき、
結果が社会的混乱、事件として表に現れて初めて、事の重大さを認識する者を言う
命が一番大切だと思っていた頃、 生きるのが辛かった。
命よりも大切なものがあるとわかった時、 生きているのが嬉しかった。
愛は、言葉ではなく行動である。
(マザー・テレサ)
好きな人にふられるのが怖くて告白しないのは、相手より自分が好きなんだ
天才とは1%の閃きと99%の努力
悪であることを憂いてはならない。
例えばそれが、誰かのための正義であるならば。
エチケットなどというものは、俗の俗なるもので、その人の偉さとは何の関係もないのである。
静まり返った高級レストランのどまん中で、突如快音を発して、
ズズズーッとスープをすすることは、社会的勇気であります。お上品とは最大多数の
決めることで、千万人といえども我ゆかんという人は、たいてい下品に見られる。
社会的羊ではないという第一の証明が、このスープをすする快音であります。
(三島由紀夫「不道徳教育講座 スープは音を立てて吸うべし」より)
この世の中では、他人から見て、可笑しくないほど深刻なことは、
あんまりないと考えてよろしい。人の自殺だって、大笑いのタネになる。
荷風先生の三千万円かかえての野垂れ死にだって、十分、他人にはユーモラスである。
そこまで考えたら、人に笑われるなどということは全く大したことじゃありません。
だから我々は大いに他人の失敗を笑うべきなのであります。
(三島由紀夫「不道徳教育講座 人の失敗を笑うべし」より)
悪は時として、静かな植物的な姿をしてゐるものだ。結晶した悪は、白い錠剤のやうに美しい。
(三島由紀夫「天人五衰」より)
幸福つて、何も感じないことなのよ。幸福つて、もつと鈍感なものよ。
…幸福な人は、自分以外のことなんか夢にも考へないで生きてゆくんですよ。
(三島由紀夫「夜の向日葵」より)
個性とは何か?
弱味を知り、これを強味に転じる居直りです。
(三島由紀夫「をはりの美学 個性のをはり」より)
人生には濃い薄い、多い少ない、ということはありません。
誰にも一ぺんコッキリの人生しかないのです。
三千人と恋愛をした人が、一人と恋愛をした人に比べて、
より多くについて知っているとはいえないのが、人生の面白味です
(三島由紀夫「不道徳教育講座 小説家を尊敬するなかれ」より)
先生にあわれみをもつがよろしい。薄給の教師に、あわれみをもつのがよろしい。
先生という種族は、諸君の逢うあらゆる大人のなかで、一等手強くない大人なのです。
ここをまちがえてはいけない。
これから諸君が逢わねばならぬ大人は、最悪の教師の何万倍も手強いのです。そう思ったら、
教師をいたわって、内心バカにしつつ、知識だけは十分に吸いとってやるがよろしい。
(三島由紀夫「不道徳教育講座 教師を内心バカにすべし」より)
切り開こうとする考えと、従属しようとする考え方では才能の伸び率が違う。
常識に従ってばかりじゃおしまいだ。常識に挑戦的であれ。
本当の自由とは誰かに与えて貰う物ではない、自分で勝ち取る物だ。
しかし民は自分で何もしないのに権利だけを主張する。
救世主の登場を今かいまかと待ち続けているのに自分がその救世主になろうとしない
失敗を恐れるな。何もしないことを恐れろ(本田宗一朗)
たった一つ私が恐れることは、恐れることだ
(ウェリントン卿アーサー・ウェズリー)
宴会と同じように、人生からも、飲み過ぎもせず、喉が乾きもしないうちに立ち去ることが一番良い
(アリストテレス)
自分が立っている所を深く掘れ。そこからきっと泉が湧き出る(高山樗牛)
人間は負けたら終わりなのではない。辞めたら終わりなのだ。
(リチャード・M・ニクソン)
壁というのは、できる人にしかやってこない。
越えられる可能性がある人にしかやってこない。
だから壁がある時にはチャンスと思っている。
(鈴木一郎)
士たる者の貴ぶところは徳であって才ではなく、行動であって学識ではない(吉田松陰)
汚いものを汚いままにしておいたら、もっと心が荒む。(鍵山秀三郎)
一番騙しやすい人間は、自分自身である(パルワー・リットン)
果たして人は、不徳なくして徳を、憎しみなくして愛を、醜なくして美を考えることができるだろうか?
実に悪と悩みのおかげで地球は住むに耐え、人生は生きるに値するのである。
(アナトール・フランス)
人は現実がありのままに見えてるわけではない。
見たいと欲した現実しか見えていないのだ。
(ユリウス・カエサル)
あなたがたは自分の量る秤で量り返されるのである
(新約聖書:ルカ福音書 六章三八節)
少し格上の人間と付き合いなさい。
彼らから弾き出されないように頑張っていれば、いずれ相応しい人間性が出来てくる。
(本田健)
人々の多くは、環境を改善することには意欲的ですが、
自分自身を改善することには、ひどく消極的です。
(ジェームス・アレン)
首から下で稼げるのは1日数ドルだが、首から上を働かせれば無限の富を生み出せる(トーマス・エジソン)
困った困ったと思うと心も狭くなり、知恵も湧かない。
困っても困らないことが肝要である。
(松下幸之助)
知識に埋もれて知恵が見つからず、情報に埋もれて知識が見当たらない(トマス・スターンズ・エリオット)
「何の束縛もない若かりし頃、想像は果てしなく広がり、私は世界を変える夢を見ていた。
ところが、年を重ね賢くなり、世界は変わらないことに気づいた。
そこで、目指すものをもう少し近いものにして、自分の国から始めることにした。
だが自分の国も変わらなかった。老年期に入り、私の願いは悲痛な思いに変わった。
自分の国もだめなら、少なくとも、最も近くにいる家族を変えることにした。
だが、悲しいことに、これすらままならなかった。
今、私は死の床についている。なんと、今になって初めてわかったのだ。
変えなければいけないのは、自分自身だったのだと。
自分が変われば、家族も変わっただろう。
そして家族に励まされ支えられることで、国を良くすることもできただろうし、
やがては世界を変えることすらできたかもしれなかったのだ。」
(ウェストミンスター寺院、大主教の墓碑)
足るを知ることが真の満足だ。(老子)
誰かが覆さない限り、世の中のものは覆らない(ジェームズ.A.ガーフィールド)
人生に於いて万巻の書を読むより、優れた人物に一人でも多く会う方が、どれだけ勉強になるか(小泉信三)
「書を捨てよ、町へ出よう」(寺山修司)
誰も自由を与えることなど出来はしない。
平等とか正義といったものは誰も与えることはできない。
あなた方が人間なら、自分で奪い取るべきである。
自由を得るためなら何でもやるぞと敵に知らせるのだ。
そうすればそれが手に入るだろう。
これこそ、自由を得る唯一の方法である。」
(マルコムX)
「百里を行く者は九十を半ばとす」(秦策・武王 『戦国策』)
「ある人の楽しみは、ある人の苦しみ。ある人の苦しみは、ある人の楽しみ。」シュメールの諺
「学道は先ず、すべからく貧を学ぶべし。」道元 『正法眼蔵随聞記』
「犯罪を黙認している者たちは、
熱狂的に犯罪を犯す者たちと同様に罪深い。」
遠藤周作
過去は捨てることはできない。
現在は止めることができない。
しかし、未来は決めることができる。
(小野田寛郎)
私は戦場での三十年間、「生きる」意味を真剣に考えた。戦前、人々は「命を惜しむな」と教えられ、死を覚悟して生きた。
戦後、日本人は「命を惜しまなければいけない」時代になった。何かを“いのちがけ”でやることを否定してしまった。覚悟をしないで生きられる時代は、いい時代である。だが、死を意識しないことで、日本人は「生きる」ことをおろそかにしてしまってはいないだろうか。
小野田寛朗「たった一人の30年戦争」より引用(p.235)
http://kirisutoinochi.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=114542838
相 手 に 期 待 す る な
これなオレが学んだこと
他校にカチコミかけるとき、「ここまではやらんやろ」とか「ポリが出てきてなんとか」とか、
そういう考えんかった、これは戦術
人生もこれと一緒
自 分 に 期 待 す る な
ということ、「こうはならないだろう」とか「ここまでやれば何とかなるかも」とか、
そういう期待を棄ててみ。
自然と自分が見えてくる。
取敢えず期待はすんな、絶対に、弓矢の雨が降ること前提、ムショ行き前提で生きてみー
何にでもチャレンジできるで、頑張れとは言わん、自分をよーに見つめんと、ホンマにドツボやで。
そないな人間は回収班の時にさんざか見てきた。回収に行ったら普通に首吊り自殺決めとったりしてな
(不良)
人生とは?
「人生とは今日1日のことである。
確信を持って人生だと言える唯一のものである。
今日1日を出来るだけ利用するのだ。
何かに興味を持とう。自分をゆすって絶えず目覚めていよう。
趣味を育てよう。熱中の嵐を身体中に吹き通らせよう。
今日一日を心ゆくまで味わって生きるのだ」
(デール・カーネギー)
『朝に道を聞かば、夕べに 死すとも可なり。』
(もし朝に人生を送る本当の道を体得できれば、その夕方に死んでもよい)
http://www.geocities.jp/axz099/rongo.htm
泳ぎ方を知らない人がプールに飛び込んでも、バタバタとするだけで、ゴールにはたどり着けません。
周りから見ても努力しているし、自分は必死で頑張っています。
努力の量はものすごいです。
ですが方法をしらないというだけで、頑張っても頑張ってもゴールには到着できません。
我々は他人が幸福でないのを当たり前だと考え、自分自身が幸福でないことにはいつも納得がいかない。
byエッシェンバッハ