思い通りにならない苦しみ。という真理『スッタニパータ』 より




これは人生の真理です。人間の力ではどうすることもできません。人生の真理ですから素直にそうと悟って受け入れるしかないのです。そうと知らない私たちは真理を憎み、真理を忌み嫌い、真理を悲しんでいるのです。まったく愚かで哀れなものなのです。

人には、愛しい人と別れ別れにならなければならない苦しみ。嫌な人と会わなくてはならない苦しみ。求めているものが得れない苦しみ。など苦しみを数え上げればきりがありません。それらの苦しみの原因はただ一つです。それらに執着し妄想する心が果てしない煩悩の苦しみを生むのです。人間の悩み、苦しみ、煩悩というものは、自分の願いや思いを実現させたいと強く執着すること、思うと通りになってほしいという強い思いから始まっているのです。そこから、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言うという、人の心身を悩ましし苦しめる毒が生じるのです。分かりますか。自己中心的な願望や思い込み、固定観念、自分は賢いと思う偏った物の見方やから、妄執が生まれ人との争いを生むのです。

思い通りにならない。願いは叶わない。という真理を知らない苦しみは、やがて、自分は他の人から愛されてない。評価されていない。という妄執の苦しみとなって。他を傷つけ自分を傷つけます。真理を知らないことから起きる節度を知らない欲求不満となるのです。このように、人間の根本的苦しみは真理を知らない無明からくる妄執と渇愛の苦しみなのです。このような真理を知らない無明から生じる、あらゆる苦しみの輪廻を解脱して、究極の(涅槃)の境地に到ることをわたしたちは励みにしましょう。原始仏教経典『スッタニパータ』の教えは、人をあらゆる苦しみの輪廻から解放し究極の平安(涅槃)に到る道を示してくれるのです。これは、人間が光り輝く本来の仏陀の姿に帰るための道を示して下された。お釈迦さまの原初の尊い真理なのです。



諸行無常ーこの世のすべては流転し移り変わる。生じるものは滅する。この世のすべては相対的存在である。

一切皆苦ーよって、この世のすべては苦しみである。絶対的存在はない。

諸法無我ーよって現実は真実ではない。この世の全て現象はそれ自体では存在せず、互いに依存する縁起の関係の上に成り立っている。

苦集滅道ー苦しみはこの世のすべてに執着する煩悩によって生じる。執着を滅尽することで苦しみは滅尽される。

正見ー自己の主観的思いや感情や思考を入れず物事をあるがのままに見る、

正思ー自己の主観的思いや感情や思考を入れず全てを客観的公平に物事を考える。

無明ー認識や感覚が生じる。それが外界(現象)の対象にとらわれ固執することによって生存が確定するのである。これら生存の原因のすべてが煩悩(罪・汚れ)である。

因果応報ーすべてが自分の行為の結果であり、自分の行いが自分に返ってくるのである。したがって自分の行為に対して責任を持たなければならない。

輪廻転生ー悪業の結果は悪い世界(生命)への転生であり、善業の結果は善い世界(生命)への転生である。したがって善い行いを為さなければならない。

中庸ーすべてを平等に観てとらわれない心が大切。他人との比較や競争ではない。自分を知り、自分を磨き、自分を確立していかなければならない。

ひとつの教え(理論・宗派)に対して固執してはいけない。ひとつの教え(持論)に固執するがゆえに他者(他論)との間に対立や争いが生じる。教えは多様であってひとつの教えに固執しているということはその様々な要素の一部分しかとらえていないということにすぎない。

ある人にとって役立つ教えはある人にとっては役立たない。一切の教えに対して固執してはいけない。宗教的見解、宗教的実践に対してすら固執してはいけない。執着しないがゆえに一切のとらわれからはなれて安らぎを得、涅槃(ニルヴァーナ)に完成(寂静)に到るのである。



『他者に頼らず、自己を拠りどころとし、法を拠りどころとせよ』

『この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか』

『賢者は自分の身を調えて自分の明らかな智慧を獲得する』

『賢者は自分の身を調えて自分の悩みのうちにあって悩まない』

『賢者は自分の身を調えて自分のいかなる束縛輪廻も断ち切る』

『賢者は自分の身を調えて自分のすべての悪い領域を捨てる』

『賢者は自分の身を調えて自分のすべての苦しみからのがれる』

『賢者は自分の身を調えて自分のニルバーナに近くなる』

『自己の内奥に潜む仏性を認識し、そしてその自我本性である』

『仏性と、ダルマ真理・理法という、自己の内なる仏性と同質の‘絶対真理’のみを頼りとせよ』



両極端に偏らない、いずれの断定も避ける、一切の見解に対して固執しない中道の実践が大切。

この世のすべてに執着する煩悩、怒り、貪り、性欲、食欲、物欲、愛欲、闘争心、嫉妬心、権力欲、金銭欲、恐怖、迷妄に気付きこれらを捨て去る。

煩悩にとらわれずに全てを経験し、正しく理解して越えていくことで汚れを乗り越えていかなければならない。

未来を見ず、過去を振り返らず、今を生きる。今の自分に納得する。明日死んでも悔いはないという思いで今日一日を、今の瞬間を大切に生きていく。

原因は結果を生み、結果はまた次なる原因となる。つまり、すべてが原因となり止まることを知らない。輪廻の輪となっていることをよく理解し輪廻の循環を断ち切る。



自己の外に神や仏がいて自己を救ってくれるものだなどと思ってはなりません。神、阿弥陀、如来、何と呼ぼうがかまいませんが、人を救う絶対的真理は自己の内に存在しているのです。

人間自身が絶対的真理であり、神、阿弥陀、如来なのです。まず今の自己を客観的にあるがままに見つめることから始めなさい。猜疑心、嫉妬心、怖れ、羞恥心、貪欲、性欲、物欲、金銭欲、支配欲、虚栄心、依存心、身勝手、などなど数えればきりがありません。

しかし、客観的にそのような自己の内面を観察することから始めなければなりません。すべてはそれから始まるのです。妄執や欲望、怖れ、不安、疑いなど、いろいろの煩悩を抱えてる自己をあるがままに見つめることが大切です。

汚れた自己、仏ならざる自己をあるがままに見つめる訓練を続けることで、偽りの自己を客観的に観察している別の自己があることに気づくはずです。それがあなたの本質です。本質のあなたは真理ですから、真理ならざる偽りの自己を客観的に見つめ、観察することができるのです。



お釈迦様は言われました。この世界に人間の自我エゴは成らないのだと、人間の自我エゴというものは本来

実体無きものであり空であると、この宇宙の真理をわたしたち人間にも理解できるように、優しい方便で宇宙

の真理を諭されたのです。それが、この世はわたしたち人間の思い自我エゴの成る世界ではないという意味



(『スッタニパータ』より)
酒は人を狂酔させ、怠惰ならしめる。
また、愚者は酔いのために悪事を行う。
この不幸の元を回避すべく、
酒を飲んではならない、
他人に飲ませてもならない、
人々が酒を飲むのを容認してはならない。



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