~「ねずきちのひとりごと」より引用~ 舩坂弘さんは、軍曹としてアンガウル島に赴任し、わずか1200名の仲間とともに約22000名の米陸軍第81歩兵師団を迎え討ちます。 この第81歩兵師団というのは、「山猫部隊(ワイルドキャッツ)」と異名を持ち、ハワイで特別上陸訓練を受けた米軍選りすぐりの強固な兵です。 兵だけではありません。 米軍はこの小さな島と、隣のペリュリュー島を攻略するために、マーク・A・ミッチャー中将率いる米軍第38機動部隊、通称「快速空母群」を派遣しています。 航空母艦約11隻、戦艦2隻、巡洋艦十数隻、駆逐艦35隻という威容です。 そんな大軍を前に、アンガウルの日本人は、一ヶ月以上も島を持ちこたえて戦っています。 舩坂弘さんは、昭和十九(1944)年四月二七日に、この島に着任しています。 上陸早々から、敵グラマン機動隊の空襲を受けたそうです。 友軍の機影は一度も見られない。 この時期、すでに日本は制空権を失っていたのです。 上陸早々から、島の守備隊は「水際撃滅作戦」のために、島の海岸線に広範囲に障害物を設置し、沿岸に鉄条網を張り、さらに鉄条網の内側に石垣を組み、そのまた内側に深い戦車壕をめぐらし、そのまた内側に各招待や分隊の陣地を二重、三重にめぐらせるという作業にかかります。 南方の炎暑のもとでの作業です。 本来なら、こうした土木作業は工兵隊の仕事です。 しかし当時の日本には、すでに彼らを派遣するだけの余裕はなかったのです。だから守備隊員が、慣れない土木作業に身を粉にして働いた。 守備隊全員は、昼夜の別なく重い石を運び、砂と汗にまみれて炎熱下の作業に堪えます。 そのときの様子は、強制重労働に従事する土方や人夫に等しかったといいます。あまりに苛酷な作業に、病人さえも続出した。毎日が拷問を受けているようにすら感じられた。 水は雨水の利用だけです。 食料は備蓄していたけれど、万一のために節食をしていた。 「早く敵が上陸しねえもんかねえ。もう俺は一刻でも早く敵の弾に当たって死にたいよ」 そんなぜいたくな愚痴さえも出た。 舩坂弘さん自身も、壕掘りのために掌は血に染まり、指は固着して動かなくなり、熱病にうなされ、暑さと過労で体から汗が一滴も出なくなる、そんな状況での作業だったと書いています。 ≪日本には肉親がいる。家族の暮らしている本土に米軍を絶対に近付けちゃならない。この島を敵に渡してはならない≫ その一念だけで、作業をこなした。 そして「このくれえ頑丈にしときゃ、敵さんも一人も上陸で決めえ」 誰もがそう思えるほど、島の水際守備は頑丈に構築されます。 昭和一九年九月六日、洋上に並んだ敵船団は、一斉に島に向かって艦砲射撃を始めます。 空からはB-24や艦載機を使って銃爆撃を浴びせる。 七日には、洋上に敵潜水艦が出没して、いよいよ事態の切迫を告げ、八日には艦載機による空爆がいよいよ激しくなる。 十二日以降は、艦砲射撃の量は一日に千数百発という数に達します。 おかげで、せっかく苦心して造った水際陣地はひとたまりもなく破壊されてしまった。 「食うや食わずで造った陣地も二日で水の泡かい」 舩坂弘さんたちの落胆はひとかたでなかったといいます。 十四日になると、米軍は舟艇約十隻に分乗して東海岸を偵察。 島の形が変わるまで爆撃と艦砲射撃を繰り返します。 そして快速空母が去り、代わりに現れたウイリアム・H・ブランディ少将率いる「アンガウル攻撃群」の戦艦三隻、巡洋艦四隻、駆逐艦四隻は、それまでに輪をかけた艦砲射撃をはじめます。 そしていよいよ九月一七日午前五時三〇分、黎明をついて熾烈な艦砲射撃とともに米軍の上陸がはじまります。 対する日本側は、連日の艦砲射撃と空爆のために、敵の状況を正確に把握するための監視哨も破壊されており、情報を迅速に伝えるための通信網も、島のいたるところでずたずたに切断されている。 そんな中で、米軍の上陸を、巴岬にいた沼尾守備隊が発見します。 そしてすぐさま大隊本部に、≪伝書鳩≫で「敵上陸地点は西港なり」と急を報じた。 伝書鳩かい!と思われるかもしれないけれど、古くは旧約聖書のノアに小枝を届けた鳩は、紀元前3千年のエジプトで漁船が漁獲量を陸に伝えるために使われていたという記録があるし、ジンギスカン率いるモンゴル帝国も遠距離通信手段に使用、カエサルの勝利の報告も、ナポレオンの敗戦の報告も、伝書鳩によっていち早く後方にもたらされた経緯があります。 また第二次大戦のヨーロッパ戦線でも「GIジョー」という名の米軍の伝書鳩は、イギリス兵約千人の命を救って英国女王から勲章をもらっています。 この≪伝書鳩≫に関するお話は面白いので、また別に項を改めて書きます。 米軍は、アンガウル島に、砲兵6個大隊、中戦車1個大隊を含む2万2千名の兵を一気に上陸させます。 敵の空爆に焼かれ、音を立てて迫る戦車群に追われ、空腹と睡魔に冒された守備隊の前に、いよいよ敵部隊が現れます。 「前方三百メートル、敵部隊発見!」 そのとき舩坂弘さんが見た敵兵の第一線は、ほとんどが黒人であり、白人がその中に点々と混じっていたそうです。 敵の顔が意外と近くに見える。 「榴弾筒発射用意!撃て!」 かたまってゆっくりゆっくり迫りくる米軍の中央付近に狙いを定めて、撃って撃って撃ちまくる。 当たる、当たる、面白いように米兵は炸裂音とともにふっとび、不意の攻撃に驚いた敵は、たちまち後ろを見せて煙のように背後のジャングルの中に這いこんでしまいます。 あまりにもあっけない。 敵が簡単に引き下がったので、どうしたのかと思っていぶかっていると、急に沖合から轟音が舞いこんできます。 無線連絡を受けた敵艦隊が、一斉にナパーム弾、砲弾を撃ち込んできたのです。 砲弾はところかまわず炸裂する。 舩坂弘さんが伏せている前後左右に、岩石を砕き、黒い煙と白い土埃を吹き上げて破片が飛び交う。 撃ち返したくても、目を開くことさえも許されず、敵の巨弾はスコールのように重なって降り注ぐ。 このとき砲弾を避けるために姿勢を変えたり、立ち上がろうとした者は、すべて血に染まって倒れた。 部下に「動くな、動いてはいかん!」と叫ぶけれども、自分の声が自分の耳にすら届かない。 砲弾が止んで周囲を見渡した舩坂弘さんは、アッと叫んだまま、驚愕のあまり気を失いそうになったそうです。 そこは地上の様相ではなかった。 数メートル間隔で深くうがたれた弾着の跡がぽっかりと大きな穴をつくり、稜線はすっかり変形して見る影もない。 無数の凸凹の上には、引き裂かれた樹木と、分隊員の腕や半身が血にまみれて転がっている。もはや、屍体とはいえず、人体の四分の一、あるいは二分の一の肉片に近い遺骸が黒々と横たわっている。 先ほどまで、元気な冗談を飛ばしていた戦友たちが、青白い泥まみれの顔に、白い歯をむき出して宙をにらんで死んでいる。 もぞもぞと動いている生存者は数えるほどしかいない。 一生懸命部下たちの姿を探すけれども、認識票さえもどこかに吹っ飛んでいる。三メートルごとに三人折り重なって斃れた者、頭部を半分削がれた者、片腕を奪われた者、内臓が半分はみ出している者など、おもわず目をそむけたくなるような情景が、あちこちに展開されていた。 流れる血は河をつくり、地を存分に吸ったくぼみはどす黒く変形している。 その上を走る硝煙をはらんだ炎風が、むかつくような血のにおいをふりまいている。 そこへ先ほどの黒人主力部隊がやってきます。 兵力を増強したらしく、今度は何百人という数です。 びゅうん、びゅうんと、銃弾が耳をかすめる。 ・・・・・・・・・・・・ |