日露戦争
■日本海海戦の話
日本海軍の敵、ロシアのバルチック艦隊というのは、イギリスのGrandfleetに次ぐ、世界第2位の威容を誇る大艦隊。
新興・明治日本の連合艦隊があまりに強いので、遠くヨーロッパの本拠地バルト海から大遠征をすることとなった。
戦艦・装甲巡洋艦・巡洋艦を中心に38隻の大艦隊。
向かえる連合艦隊の主戦力は、戦艦4・装甲巡洋艦8・巡洋艦15.
そして結果は、連合艦隊の圧勝に終わった。
どう決着がついたのか?
この時代の海戦は、コンピューター制御でもなければ、レーダー照準があるわけでもないので、全て砲手の経験と勘で行われる。
捕鯨船のようなもの。
せ~ので、ドンパチ始まっても、波と風の影響や、命中を避けてジグザグ走行をしたりするので、ほとんど命中することが無いし、命中しても砲撃で沈没させることはまずムリなのだ。
そのため、戦艦の舳には、ラムと呼ばれる突起が付いており、砲撃で戦闘不能になった艦に、舳から体当たりしてラムで敵艦の船底部に穴をあけて沈ませるのだ。
これは古代ローマから変わらぬ海戦の戦法。
しかしここまで決着がつくことはまれで、ほとんどは弾切れになった方が煙幕を焚いて逃げ出して終わりなのだ。
ところが、日本海海戦では、連合艦隊の艦砲射撃により、バルチック艦隊38隻中、なんと21隻を沈没させ、残りを戦闘不能に至らしめ、捕獲してしまった。
わずかにロシアの1隻の通報艦が停船命令に応じず逃走を図ったため、これを砲撃しようとしたところ一人の参謀が割って入り『あれは、バルチック艦隊の敗報を、ロシア皇帝に報告するために命がけで逃げ出したのでしょう。もし逆の立場であれば、我々の誰かが天皇陛下に報告するため、命がけで逃走を図ることになっていたでしょう。ここは武士の情けです。見逃してやりましょう。』と言い。この1隻だけが、無事目的地のウラジオストックに入港を果たしている。
全世界が、あっけにとられる圧勝だったのだ。
しかし、世界の予想はある程度、連合艦隊の勝ちもある程度は予想されていた。
これに先立つ日清戦争でも、清の北洋艦隊がドイツの最新鋭戦艦を2隻買い取り、ドイツ海軍アメリカ海軍から軍事顧問団を招聘して、世界最強の補強をしたにもかかわらず、連合艦隊が圧勝しているのだ。
それほど連合艦隊は強かったのだ。
■それより世界を驚かせたのは、日本陸軍の騎兵隊だ。
戦車が登場する以前の陸戦は、まだまだ、騎兵の突撃が陸戦の花形だった。
バルチック艦隊は世界第2位だが、ロシアが誇るコサック騎兵団は、比較を絶した世界最強の騎兵軍団だった。
ドイツ統一戦争に勝利した、鉄血宰相ビスマルクは、ヨーロッパの中原を圧する大陸軍を擁しながら、ロシアとの戦争を逃げて逃げて逃げまくった。
理由は、コサック騎兵団。
この破壊力は、統一ドイツの全陸軍を以てしても容易では無いと考えていたからだ。
ナポレオンの大遠征軍も、歴史に名高いボロジノ会戦で蹴散らされ、フランスを帝国にまで押し上げた、ナポレオン自慢のグランタルメー(大陸軍)は、裸同然でフランスに逃げ帰った。
世界はおろか、歴史上でさえ互角に戦えた軍隊は存在しないのだ。
そう、日本陸軍の秋山騎兵隊が登場するまでは。
秋山好古(あきやまよしふる)当時・大佐。
日本陸軍の騎兵の父と言われた、陸軍騎兵隊の育ての親。
この人が、コサック騎兵団を連戦連勝で蹴散らしてしまった。
日本の騎兵はそんなに強かったのか??
じょ~だんじゃない!!
これはもう、ヘビー級とスーパーフライ級の戦い。
同じリングに上げることさえ犯罪に近い。
水爆と線香花火ほど違うのだ。
この弱小騎兵隊を預けられ、秋山は悩みに悩んだ。
コサック騎兵に勝て
いったい何がどうなったら、そんな寝言が言えるんだ
寝言でさえそんな発想出てこないだろう。
しかし、コサック騎兵を止めなければ、日本は勝てない。
なんとしても、コサック騎兵を撃ち破らねばならない。
結局、秋山大佐は、ヨーロッパの陸軍が夢想だにしなかった戦法を思い立った。
騎兵同士の華々しい正面突撃による乱戦を一切諦めたのだ。
そしてどうしたか?
コサック騎兵が草原の彼方にほの見えた瞬間に、日本の騎兵は全員馬を降り、馬を安全なところに退避させてから、狙撃手に早変わりするのだ。
そして、ロシアの旅順要塞で散々悩まされた、機関銃を馬に積み、迫りくるコサック騎兵を機関銃でなぎ倒していったのだ。
ここで、秋山大佐は、騎兵戦の古い伝統を全く無視した。
騎兵戦では、馬を狙わないというマナーがあるのだ。
騎兵隊は馬を大事にする。
だからお互いに、戦闘は人間同士でするのもとし、お互いに馬を攻撃しなかったのだ。
しかし、秋山騎兵隊は全員が、馬を降り、地べたに伏せて機関銃で迫りくる、コサック騎兵の馬をなぎ倒し、狙撃銃でコサック兵を倒して行ったのだ。
地面に伏せて狙撃する騎兵など、前代未聞!!
しかしこれは、騎兵の機動力と要塞兵器だった機関銃を組み合わせるという、素晴らしい発想だったのだ。
この新時代の兵器と戦法の前に、コサック騎兵は史上初めて、蹴散らされるように敗走したのだ。
さらに重要な点は、逃げ帰ったコサック騎兵はもう、使い物にならないということだ。
秋山騎兵隊に、騎馬を撃ち殺されてしまったからだ。
騎兵隊の騎馬というのは、騎兵と一体となって何年も訓練を積んで初めて戦力になるのだ。
戦車や戦闘機のように、乗り換えて済むというものではない。
まして、コサック騎兵団のように、複雑で苛烈な戦闘行動をする部隊ならなおさらだ。
完成された騎兵隊だからこそ、平気で馬を射殺してくる日本軍に恐怖したに違いない。
日露戦争のロシア側の切り札だった、コサック騎兵団の敗走は、全世界に驚愕と衝撃を与えた。
10万人のコサック兵が、わずか8千人の秋山騎兵隊に破れた。この事実に世界は目を剥いた。
■そして、日露戦争最大にして最後の決戦となった、奉天会戦
日本軍は、ロシア軍以上の被害を出しながら押しまくったが、36万の兵を集めたロシア軍がビクともしない。
しかし、敵将クロパトキン中将は『日本の第3軍はどこだ』と喚き続けていた。
世界最強のロシア旅順要塞を陥落させた、乃木将軍旗下の第3軍は、ロシアに最も恐れられていた。
それを知った日本軍は伏兵として第3軍を隠してしまった。
いくらロシア軍が偵察を出しても、第3軍を発見できないことが、ロシア軍をクギ付けにしてしまったのだ。
そして搦め手から突如出現した第3軍が、敵軍の中心部に強行突入して血路を開き、ロシア軍の巨体が揺らいだ。
そしてそこに、今の今まで騎兵らしさを捨てて来た、秋山騎兵隊が、ナポレオンのグランタルメーもかくやと思うほどの華々しい騎兵の総突撃を、敵の総司令部に向かって行ったのだ。
ロシアの総司令部は、猛塵を巻き上げ突進してくる、秋山騎兵隊に完全に恐慌をきたし、なんと36万の兵を置いて、総司令部から雪崩を打って潰走してしまった。
結局これが、日露戦争の陸戦の雌雄を決した。
なんとしても、この国を守らねばという全国民の祈りから生まれた逆転の発想による戦法で、巨大な帝国を倒してしまったのだ。
どうです 日本人てすごいでしょ?
引用元:http://ameblo.jp/nss0901/entry-11063888468.html