ところで北清事変の結果、清朝政府は列強に賠償を支払い、かつ他国の軍隊の駐兵権を与えざるを得なくなった。そのとき日本は北京に2600人を駐兵することを許されたのである。昭和12年(1937年)7月に日本軍部隊が北京郊外の盧溝橋にいたのは、そういう経緯があったからである。
日本軍の軍律の素晴らしさを讃えた人の中にフランスの国際法学者のポール・フォーシーユ氏がいる。
また、著書としてはフランスのフィガロ紙の従軍記者のカレスコート・イリュスト氏と、ラシオン紙のラロ氏が2人で書いた『日本軍戦闘観戦記』、ウッドハウス暎子女史の『北京燃ゆ』、ジョージ・リンチ氏の『文明の戦争』などがある。