歴史雑学が多いです

  • 板垣退助が襲われた時に「板垣死すとも自由は死せず」と
    出血しながら言ったとされて居るが、本当は近くに居た人が言ったらしい
    本人は「助けてくれ…」と言っていた。
    しかもその台詞を言った後、板垣はすぐ死んだと思われ勝ちだがその後、十年ぐらい生きてる
    ~~~~~
    548:名無し
    ググったら十年どころか三十年以上生きてるじゃねーかw

  • 西郷隆盛の「隆盛」は親父の名前。
    さらに顔絵も本人ではない。

    西郷は写真を嫌っていたため、
    顔は西郷の死後、彼の親戚や親をモデルにイメージして絵書かれた。

    さらに西郷の本名は「西郷隆永」だったが、
    代理人が、「確か、隆盛って言ったでごわす」な感じで勘違いして父親の名前を新政府に届け出てしまった。
    間違えだから訂正すれば良いのですが、隆盛自身がこれでいいやと思ったらしく、そのまま西郷隆盛が正式な名前になった。
    隆盛の弟の西郷従道も本当は隆道だったが、音読みが聞き間違えられて、従道にされてしまったが、これまた本人が「良し」としました。

  • 西郷隆盛の金玉はスイカ並みの大きさだったそうだ。
    原因は、金玉に寄生虫がいたから。

  • 第二次世界大戦でソ連により占領されたベルリンから、
    水道の蛇口と電球が消えた事があった。
    ソ連兵が「これさえあればどこでも水が出せる」
    「どこでも灯りが点く」と勘違いして強奪しまくったため。

  • お釈迦様の死因は食中毒

  • 徳川家康は武田信玄軍に惨敗して逃げ帰る際ウンコ漏らした
    さらに、それを絵描きに描かせた

  • 天は人の上に人を作らず~ってのは、
    人間皆平等だよーって意味じゃなくて、努力次第で上にも下にもなるって意味。
    人は生まれた時平等で、努力次第で上に行ける「のが健全な社会だ」だという。
    だから学問をしましょう、というのが学問のススメ

  • 江戸時代、鎖国の時に外国船から江戸を守るために埋め立て
    大砲を置いた「台場」がいまのお台場。

  • キリストは磔にされた際てのひらに杭を打たれていない
    手首に打たないと体重を支え切れず十字架から落ちるから
    よって、掌にスティグマがある奴は嘘

  • 昔の日本はそこらじゅうに大麻がバッサバサ生えてて、日本人の生活と深く関わっていた。
    大正時代から昭和初期までは、葉をタバコに混ぜて吸う喘息用が薬局で売られていた。
    その他にも鎮痛・鎮痙および催眠剤などに効果があり、例えば母親が子供を産む時に痛みを緩和するために使用していた。
    日本の大麻は海外と違い、向精神作用をもたらす化合物が少なかったが、
    それを知らないアメリカ軍が、戦後に完全禁止したのである。

  • 第二次大戦中アメリカ軍には富士山をペンキで赤く塗りつぶす作戦があった。
    日本のシンボルである富士山を赤く染めることで日本人に精神的ショックを与えようとしたが実行されなかった。

  • 歴史上最大の版図を築いた国は大英帝国らしい。

    第1位 大英帝国 35,500,000 km2 (1920年)
    第2位 モンゴル 24,000,000 km2 (1309年)
    第3位 ロシア/ソ連 22,800,000 km2 (1895年)
    第4位 清/中国 14,700,000 km2 (1790年)
    第5位 スペイン 13,700,000 km2 (1780年)
    第6位 フランス 11,500,000 km2 (1946年)
    第7位 イスラム 11,000,000 km2 (720年)
    第8位 アメリカ 9,670,000 km2 (1899年)
    第9位 匈奴 9,000,000 km2 (紀元前176年)
    第10位 ポルトガル/ブラジル帝国 8,510,000 km2 (1889年)

    ちなみに日本も15位以内に入っている(ローマ帝国は16位)

  • 信長の部下には「ヤスケ」という黒人がいた

  • 日本人が一番キレやすかったのは室町時代。
    当時の記録によると室町町人は酒が大好きで暇さえあれば飲酒していて、
    常に酩酊状態だった上、僧侶から町人まで誰も彼もが武装していて、
    一対一の口喧嘩がすぐに大人数での殺し合いになったとか。

    ソースは清水克行の「喧嘩両成敗の誕生」

  • 徳川綱吉の「生類憐みの令」は悪法として名高いが、実はこの法は人間にも適用されていた。
    そのおかげでそれまで捨置かれていた老人、病人、障害者の面倒をちゃんと看るようになったり
    捨て子と児童虐待の禁止や囚人への待遇改善など、弱者に優しい社会が形成された。

    綱吉の死後も「動物を大切にしよう」という意識は人々の間に残っていき
    現在の「親切な日本人」の発端となった。
    日本から犬食文化が無くなったのもこの頃。

  • 長篠の戦いで信長がやった鉄砲三段構え戦術。
    実は当時、世界最高レベルの戦術
    ~~~~~
    345:名無し
    三段構えの通説は、3人の射手が入れ替わりに射撃したってなってるけど
    実際には射手固定で後方に弾込め担当、火付け役が順次作業して
    発射可能になった銃を射手に渡してたってのが有力な考察らしい
    早ければ現在の自動小銃単発射撃と変わらない早さで射撃出来るとか
    って何かの本で読んだ

  • 原始時代の人骨には明らかに若いうちに
    歩行に障害をきたすレベルの怪我を負ったにも係わらず
    壮年老年まで生きたものがいくつも見つかっている
    足手まといは見捨てるべきという主張は原始人にも劣るものなのだ

  • ピラミッド作りで労働者にちゃんと給料やビールを支給出来ない権力の弱い王は
    労働者にもナメられサボられたり手抜き工事されてしまい
    半端な形で残ったり壊れてしまったものがいくつもある

  • インカ帝国の初代皇帝の名前はマンコ・カパック
    ちなみに首都の名前はクスコ

  • 古代スパルタ男子の正装は全裸
    またチンコは包茎であることが美しいとされ露茎は醜いと考えられていた

  • sexによって極楽往生を目指した「真言密教立川流」という仏教の流派がある。

  • ケネディ大統領の演説で有名な
    「国が何をしてくれるのかではなく自分が国に何をできるかを考えなさい」
    という名言は実はフランクリンが先に言ってたりする

  • 中世中期くらいの西欧~中欧辺りは裸で寝るのが一般的で
    家に部屋を幾つももてないような貧農などは一家で男女の区別なく全裸で寝ていたため
    近親相姦の温床になっていた

    この頃何故か「処女懐胎が増えた」という教会の記録が残っている
    何でだろうね

  • 太平洋戦争の旧日本海軍には
    僚艦を逃がすために1艇で16隻のアメリカ艦隊と夜通し戦闘し
    僚艦を逃がすことに成功し夜明けと共に沈没した駆逐艦がある
    駆逐艦の名は「初月」

  • 教科書に載ってるフランシスコ・ザビエルの頭を見て「はげだ、はげだww」
    と馬鹿にしたであろうがあれはザビエル自身髪の毛が薄かったわけではない
    あれはトンスラと言って聖職者になったキリスト教徒はあの髪形にしなければならなかった

  • 豊臣秀吉には指が6本あった。

    フロイス『日本史』豊臣秀吉編 I 第16章(ペーパーバック版)
    「彼(秀吉)は身長が低く、また醜悪な容貌の持主で、片手には六
    本の指(seis dedos)があった。眼がとび出ており、シナ人のように
    鬚(barba)が少なかった。男児にも女児にも恵まれず、抜け目なき策略家であった」

    ぶさいく秀吉

  • 伊達政宗という小惑星がある

  • 剣豪「宮本武蔵」は
    島原の乱で 名 も 無 き 農 民 の投げた石によって大怪我を負った。

  • 戦国時代に八十四歳で
    子供をつくった坊さんがいる。
    本願寺の法主で名は蓮如。十三男十四女の子だくさんであった。

  • 織田信長は痔であった

  • 戦国時代の農民は、搾取されてるイメージがあるが、実は超狂暴な存在。

    自軍からはぐれた武将が、農家を見つけ水と食べ物を貰う・・・
    よくありそうな話だが、実際は鎧や武器を奪われ、首を取られて死んでしまう。
    戦国時代の農民は血気盛んであった。

  • 永禄十二年、フロイスが信長にバナナを献上。これが日本で最も古いバナナの記録である。

  • 日本の女性は開国するまで、乳房に対して羞恥心を持っていなかった。

  • スペイン無敵艦隊というのはイギリス人の
    「スペインさんの艦隊弱すぎwww無敵ッスねwww」という皮肉から来ている

  • 城門の鍵を閉め忘れたせいで滅んだ国がある
    詳細は「コンスタンティノープルの陥落」で検索

  • フランクリン・ルーズベルトの死因は高血圧性脳出血
    なんと最高血圧が300あった。こりゃ死ぬ

  • 第二次対戦中、戦艦「大和」は国家機密で
    ほとんどの人が存在を知らなかった。

    大和の主砲の射程は42㌔
    水平線の向こうまで届くので
    偵察機で目標を報告する必要があった

  • 第二次大戦中、未確認飛行物体が各地で目撃され
    飛行中の戦闘機にピタリとついてきたり、突然消えたり、対空砲火を浴びせても無傷だったりと、
    その奇妙な行動と性能の高さは米軍を震撼させた。
    米軍では、ドイツ軍の秘密兵器とか、日本軍の新型機など、様々な憶測が飛び交っていたが
    この謎の飛行物体は結局「フーファイター」と名付けられ、正体不明の飛行物体として認知される。
    また、この飛行物体は日本軍やドイツ軍でも度々目撃されている。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%BC

  • 電球を発明したのはエジソンではない。
    商売で普及させたのがエジソンで、全部自分の手柄っぽくしていた

  • 世界一周で有名なマゼランが途中で死んだことはしられているが
    その理由はある島を植民地化しようとして、戦に負けて
    原住民の王に殺されたという間抜けな死に方

  • ユダヤ人大量虐殺の最高責任者ヒムラーは実は動物好きで
    ポーランド兵の処刑現場を視察したときは気分が悪くなって吐いていた。
    そのトラウマで手を汚さずに済むガスでの虐殺を進めた。

  • 戦後GHQが日本に問いかけた。
    天皇を捨てるか軍を捨てるか。
    マッカサーは絶対に天皇を捨てると確信していたので、答えが分かる質問をしたのだ。

    しかし日本はこう答えた「軍隊を放棄する」
    こうして日本国憲法に「軍隊の放棄」が生まれた

    ~~~~~
    130:名無し
    日本国民の天皇に対する忠誠心にGHQは相当驚いたらしいな

  • 戦艦大和の艦内にはラムネ製造機があり酒保で1本3銭で売られていた

  • 二宮尊徳が貧乏から這い上がれたのはそりゃ努力したのもあるが
    かれは身長が180㎝オーバーの大男で、その持って生まれた体で
    金になる薪をガンガン運べたからである。

  • ラスプーチンのペニスは「腕」くらい大きかった。
    画像検索すればでる

  • 日本領最南端は実はオーストラリア。
    死亡した日本兵を弔う寺院か公園みたいなのがあって
    オーストラリア政府の特別配慮で日本領になっている

  • シーボルトには出島の現地妻との間に女医になった娘(いね)がいる。
    いねはかなりの美女だったため、師匠の医者にレイプされて娘(たか)を産むことになる。
    そのたかもまた美女で、母と同じ女医になったが、また師匠の医者にレイプされて孕まされている。

  • 大戦中は日本で最も高い山は富士山じゃなかった。
    ニイタカヤマは4000m以上だった

  • 日本の陸軍幼年学校の大半の生徒は、『講義中眼を開けたまま寝る』という凄い技を
    体得していた奴がたくさんいる。

  • 日露戦争のときの陸戦の一部では休憩&遺体回収時間があったり、
    休憩時間中に日露両軍が食糧や酒の交換をしていた。
    この間、両軍は一切発砲をしなかった。
    日露戦争は武士道と騎士道が出会った最初の戦争とも言われている。
    ~~~~~
    351:名無し
    俺が見た本だと、とあるロシア兵が日本軍の塹壕に向けて紙に包まれた石を投げ入れて
    その石には金貨が入ってて「故郷の母へ私は無事だと連絡を入れてほしい。
    お代はこの金貨で払う」という手紙が添えてあったらしく

    それを知った日本軍の指揮官が足りなかった分の金をツケて
    そのロシア兵の母に連絡を入れてやり、「ちゃんと連絡したぞ」という返事を
    また石に包んで投げ返した。なんて話があったな
    ~~~~~
    400:名無し
    日露戦争の乃木将軍は勝利後の海外向け記者会見で、
    敵将に帯剣を許可したり、一緒に酒を交わしたりしながら、翌日の作戦を話し合ったりしたとか。

    外国記者に写真を撮らせてくれ、と頼まれた時は
    「敵将にとって後世まで恥が残るような写真を撮らせることは、日本の武士道が許さない」としたうえで、
    「会見後に我々が友人となって同列に並んだ所なら、一枚だけ許そう」と一枚だけ撮影を許可した。

    こうした乃木の振る舞いは、旅順要塞を攻略した武功と併せて世界的に報道され、賞賛された。

    ・・・って話は有名。「武士道」が世界的に知られるようになったのもこれの影響。
    ~~~~~
    401:名無し
    この会見の後、ロシアで処刑されそうになったステッセリ大将を助けたのも乃木だったな。
    助命嘆願の手紙を出して、ステッセルは死刑を免れた。
    ~~~~~
    402:名無し
    日露戦争はいろいろエピソードあるな。
    死んだ敵兵のために慰霊碑を建てたり

  • ナチス政権下のドイツでは、『エビを水から煮る調理法』は違法だった。
    なぜかというと、エビが苦しむから。

  • 四国に住む化け狸が日露戦争の戦場で目撃されている
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%8B%E5%B3%B6%E3%81%AE%E7%A6%BF%E7%8B%B8

  • ヒトラーの声がガラガラなのは第一次大戦で毒ガスを吸い込んで
    声帯がイカれたため

  • 戦艦長門は戦後水爆実験の標的艦になったが、
    水爆が爆発してからも海上に四日間浮き続け、
    四日目の晩、誰にも見取られることなく沈没した。

  • 西南戦争では銃弾同士がぶつかった物が見つかった
    ぐらい激しい銃撃戦だったらしい

  • 映画で有名になった硫黄島の指揮官、栗林中将は家族への手紙に

    『家のことは大概整理して来たけど、台所の隙間風を塞ぐのを忘れていた。
    そのうちやろうと思ってそのままにしてきてしまったので、息子にやらせておいてくれ』

    『防空壕での生活は辛いだろうから、私の編み上げ靴とかを履いて逃げろ。
    靴は下駄箱の上にあります』

    『硫黄島はアリが凄い。ゴキブリも物凄くデカい奴がいてキモい』

    というようなことを豆まめしく書き綴って送り続けた。

  • ソ連の将校は歩兵の後ろで機関銃を構えている
    援護射撃のためではなく脱走兵射殺のため

  • にっとうまる【日東丸】
    日本の漁船。
    ①第23日東丸。特設監視艇。1942年ドゥリットル隊を積んだ米機動部隊を発見、
      第一報を送った後、単身突入、機銃一丁で巡洋艦ナッシュビル及び艦載機と
      交戦。撃沈され総員戦死。米軍に予定繰り上げを強い、B-25不時着の
      遠因となる。その米軍過失の正当化のため、映画「パールハーバー」では
      巡洋艦として描かれている。このほか、第1、8、9日東丸なども特設監視艇
      として活躍。

    ②日本海軍特設駆潜艇。各地の防備隊に配属されたほか、小型船ながらも
      船団護衛にも従事。ニューギニア向船団を護衛、戦没した第18日東丸ほか、
      第3、13、17日東丸などが存在。

    ③第71日東丸。底引き網漁船。1985年、サハリン沖で活動中のソ連原潜と
      底引き網で交戦、力及ばず、生存者3名を残し海中に消える。戦死16名

  • 大戦中にアメリカの航空基地上空に突如現れた零戦
    米は電信の不調を疑いつつ高射砲を発射した
    しかし零戦はゆっくりと高度をあげループし、そして何事も無いように上空を旋回
    最後には翼まで振って去っていった
    そのあまりの優雅さに米は射撃をやめ拍手を送ったという

  • 東京の聖路加病院には十字架がついてたので空襲の被害をまったく受けなかった

  • 飛行中に撃ちだされた弾丸を手で掴んだフランス兵がいる。
    http://atrierlion.sakura.ne.jp/base/zatu2/zatu/13/zatu547.html

  • 打ち落とされた零戦から飛び降りて下に運良くあった敵軍の飛行機に乗っかって
    そのまま奪ったのに仲間に打ち落とされちゃった人がいる

  • 日露戦争の時、ロシア人捕虜が「白い服を着た日本兵はいくら撃っても倒れなかった」といった
    けれど白い服の日本兵はどの部隊にも配属されてなかった。遠野物語に載ってる話。

  • あるイギリスの小隊(名前も場所も忘れたwww)が、実戦でゴム弾を使用した。
    相手を極力殺さないため・・・という名目で使用されたのだが、敵側の将兵を捕虜にしようとしたとき
    ゴム弾のあまりの痛さに、「殺してくれ」と涙ながらに懇願した。

    実際通常弾を食らった人にゴム弾を撃つと、通常弾の方がマシという答えが返ってきた。

  • 防衛大学の日直記録に残されてるオカルト話。
    昭和天皇が崩御された日の夜、
    防衛大学の地下室にて無数の「白い手袋だけ」が万歳を行っていたという。
    http://chaos2ch.com/archives/2326210.html

  • 南太平洋の、とある島での出来事。
    孤立した日本軍が駐留しているとみられる島に、米軍が夜間上陸しようとした。
    すると突然、島の高台に金色に輝く人の様なものが現れた。
    その途端、米軍の上陸用舟艇に錆による穴が空き、
    次々と浸水した。結局米軍は、その島には上陸しなかった。
    後に上陸前に撮影されたその島の航空写真を見ると、
    島にはどれも錆びた高射砲や輸送機などが写っていた。
    その島では全ての鉄という鉄が錆びてしまっていた。
    米軍の非公式記録より。

  • 硫黄島について。
    海上自衛隊では、禁忌となっていることがある。
    硫黄島での演習で上陸し、そこでの記念として石を持ち帰った所、
    亡霊が艦内を彷徨い、叫び声や電気系統に異常をきしたという。
    海上自衛隊の航海日誌に載るくらいの事実。

  • 日露戦争での話。
    開戦前、明治天皇は戦争に消極的で、大国ロシアを打ち負かす事など絶望的と思われていた。
    が、あるとき公務を終えられた後、明治天皇が、
    「この戦には神が兵を貸してくださる。必ず勝てる。」と言われ、結局開戦となった。
    結果、日本軍は勝利を収め、世界史を塗り替えることとなる。
    戦後、捕虜となったロシア兵は口々にある証言を残す。
    「黒い服を着た日本兵は弾が当れば死んだが、白い服を着た日本兵にはあらゆる武器が通じなかった。」と。
    なお、明治の皇軍兵の軍服は上下黒の詰襟に白いゲートルであり、「白い軍服」の兵士は存在しない。

  • 空母「瑞鶴」に乗艦していた見習い尉官の話。
    戦闘の際、日ごろからお世話のなっていた中尉が敵機の爆弾により倒れた。
    左足を付根からもぎ取られていたが意識があり、
    「もし呉に帰ったら家族に苦しまずに死んだ、と伝えてくれ」と言い、息を引き取った。
    見習い尉官は遺言どうり中尉の家族に手紙を書き送った。
    それから二十五年後に行われた瑞鶴戦没者慰霊供養の際に中尉の未亡人と会い、実際の中尉の最期を伝えた。
    すると未亡人は「これまで何回となく夢で帰って来てくれましたが、不思議な事にそのたびに左足がないんです。
    今、やっと、その訳が解り、ほっとしました」

  • 太平洋戦争中期~後期、アリューシャン列島での話。
    偵察を行っていた日本の潜水艦が、日本軍が玉砕したアッツ島沖を航行していた所、
    突然アッツ島から光の玉が飛び上がり空中で止まると、こちらの(潜水艦の方向)へ向かって飛んできた。
    潜水艦長は「急速潜航!」を発令し、潜水艦はそのまま水中へ潜っていった。
    その後、あれはなんだったのか考え、結局、「おそらくアッツ島の英霊でしょう」と言う事になった。

  • カンボジアでポルポト政権時代に不穏分子が大量に虐殺、遺棄された農場は、
    今は欧米の果実企業のプランテーションで、とても美味なマンゴーやドリアンが採れるとか。
    ベトナム戦争で多数の戦死者を出したメコン下流の田園地帯は、
    今は日本の商社によるエビ養殖池で埋め尽くされていて、美味なエビが育つらしい。

  • スターリングラードでは、包囲されたドイツ兵の一部が人食い(グールー)化した。
    それを退治するために貴重な弾薬を割かなければならなかった。

  • 戦後30年間戦い続けた軍人”小野田寛郎”
    戦後30年間、フィリピンのルパング島で戦い続けた
    ”小野田寛郎の伝説”

    自分の脳内で日数を数え続け、誤差は僅か6日。
    弾丸が足りなくなると、敵の装備から武器を調達
    情報収集用のラジオを自作
    健康面を考えて、干肉、木の実などをバランスよく摂取
    日本の援軍が上陸するルートまで考えて確保していた
    戦闘では、数百人規模の捜索隊と度々交戦しながらも30年間生き残り続けた。
    しまいには敵の弾丸までよけれるようになったというから驚きである。

  • 小野田さんが日本に帰国後、ブラジルに移住した時、二匹の紀州犬を連れていったんだけど、
    ジャングルの中で豹に出会っても臆することなく勇猛に襲い掛かっていくってんで、
    地元の人から「子犬を分けてほしい」と大人気だったとか 。

  • 人は極限状態になると弾丸をかわせる

    合気道の創立者、”植芝盛平”
    モンゴルの戦場で、数々の死線を通じて銃弾を避けられるようになったという。
    盛平自身の説明では「敵の銃弾より先に赤い光が飛んでくるので、それを避けると後から銃弾が飛んでくる」のだという。
    また剣を相手にしたとき、まず白いモノが振り下ろされ、それを避けると必ずそのあとに本物の剣が振り下ろされたという。
    (弾丸が見えたというより、軌道が色として見えたということでしょうか、)

    戦後30年間戦い続けた軍人、”小野田寛郎”
    「本当に命を賭けなければいけないと必死になった瞬間、
    頭が数倍の大きさに膨らむ感覚と同時に悪寒に襲われ身震いし、
    直後、頭が元の大きさに戻ったと感じると、
    あたりが急に明るく鮮明に見えるようになりました。」
    「夕闇が迫っているのに、まるで昼間のような明るさになりました。
    そして、遠くに見える木の葉の表面に浮かぶ1つ1つの脈まではっきり認識することができました。
    そうなると、はるか先にいる敵兵の動きも手に取るように分かります。
    それこそ、相手が射撃をする直前にサッと身をかわして銃弾を避けることさえできると思いました」
    (ただし「弾丸が見えた」との記述は無いため、弾丸を打つ前の動作などで判断したのでしょう)

    脳科学的には、
    人は生命の危機が迫ると神経接続がboostされて、特に視力は半端なくなる。
    情報量の増大に脳の処理能力が追い付かなくて、
    だいたいはスローに感じる、ということらしい。
    それが事故の瞬間スローに見えたりする現象だとか。

    具志堅が相手のパンチが来るときスローモーションで見えるって言ってて
    先生がそれも走馬灯の一種だって言ってたな。
    本当に危機が迫って脳がやばいと感じたときにスローになるらしい

  • 日清戦争の際、荷物の輸送が1日遅れた責任を感じて、指揮官の将校が切腹する事件がおきた

  • 日露戦争1905で活躍した『乃木稀すけ』は勝利したにもかかわらず戦後、切腹した。
    遺書には「西南戦争時(1877)に連隊旗を奪われたことを償うための死」であるむねが記されていた。
    大将にまで上り詰めた男が、若き日の失態の責任を果たした事、その責任感は世界に大きな衝撃を与えた

  • 日露戦争で日本は
    ロシア騎兵隊10万人をわずか8000人で撃破した

  • 硫黄島の戦いでは、米軍の死傷者は日本軍より多かった。
    米軍は上陸3日目にして死傷者数が、
    対ドイツ戦における史上最大の上陸作戦「ノルマンディー上陸作戦(約2ヶ月間)」における戦死傷者数を上回り、

    ベトナム戦争15年間の米軍死者が58000名に対し、硫黄島はわずか一ヶ月の戦いで米軍死傷者28,686名を超えた。
    日本軍の戦死者も20,129名。とんでもない激戦だったようですね。

    ワシントンの一部新聞が硫黄島での毒ガス攻撃を呼びかけるほど、本国では硫黄島戦における苦戦が衝撃的であった。
    硫黄島の戦いは、沖縄戦とともに第二次世界大戦屈指の最激戦地のひとつとして知られる。

    inserted by FC2 system